サヴォワールフェール Collected, Vol. 4, Part One

モーガン・キング&ニール・フェリエ

7分

タグ・ホイヤーの熱烈なファンにインタビューするシリーズの第4回目は、デザイン会社Discommonのニール・フェリエ氏と、並外れたコレクターであるモーガン・キング氏に話を聞きました。 精鋭揃いのインダストリアルデザイン会社 Discommonを率いるニール・フェリエ氏の身体の中にはホイヤーの血が流れています。一方モーガン・キング氏は、タグ・ホイヤーの蒐集に並々ならぬ情熱を燃やす伝説的な“ビッグキッド”。3つの大陸をつないで行われたこのインタビューの前編では、どんな経緯でコレクションに取り付かれるようになったのか、また、マックイーン、そして“ダブルリスティング”などについて語っていただきました。

The Edge:さて、お二人は今どちらにいらっしゃいますか? ニールさん、あなたは最近オフィスを移されたんですよね。

 

ニール:私は今サウスカロライナ州のグリーンビルに住んでいます。カリフォルニアに11年いましたが、緑が多くてもう少し住みやすいサイズの街の方がいいと思い、家族とともにビジネスの拠点をこちらに移しました。私には便利に使える空港が近くにあれば、それだけで十分なので。ただし、この1年は空港もそれほど必要ありませんでしたね。何と言っても、ステイホームですから。私たちのオフィスは巨大な業務用コーヒー焙煎施設の中にあるのですが、彼らの中にコロナの感染者が出たため、今は操業が、私たちの出勤していない週末だけになっています。

 

The Edge:コーヒーの良い香りが漂うオフィスを選んだわけですね。

 

ニール:香りは素晴らしいのですが、焙煎の音が思ったよりも少しうるさかったです(笑) 。それで、廃墟というか、何と言うか、打ち捨てられたような状態のビルを買いました。今、プロジェクトを立ち上げて、おそらくこれから1年はかかると思うのですが、そこを本社にするつもりでいます。それまではコーヒーショップの中がオフィスです。

 

The Edge:プロジェクトですか。面白そうですね。モーガンさん、あなたは今どこに?

 

モーガン:台湾の台北にいます。しばらく家族でロサンゼルスを離れることにしました。いつもはパサデナにいるんですが。実は2、3ヶ月だけアジアの方に出かけようと家族で話していたんですが、そうすると8月になってしまうので、子供たちも「学校はどうするの? オンラインで授業を受けるの?」 と言い出したんです。でもこれは、教育はピアツーピアでやるべきだと言う妻にダメ出しされて、台北にあるアメリカンスクールに入学させました。なので、少なくとも1年はここにいます。もっとも、長女はカリフォルニアが恋しいと言ってオンラインスクールに戻っていますが。カリフォルニアとは時差がありますから、家族が寝ている夜中の2時、3時にドタバタやっていますよ。

 

The Edge:帽子やニューヨーク摩天楼の写真など、アメリカの思い出の品々に囲まれていらっしゃいますね。それでは先ず、あなたとタグ・ホイヤー、そして時計全般とのつながりについてお話頂けますか?

Morgan King's collection - TAG Heuer Formula 1

 

モーガン:私の初体験は、ヨーロッパでした。大学1年生の時に、母親が国連で働いている友人と一緒にヨーロッパに行ったんです。その時にパリのルーヴル美術館やロンドンの街中などを歩き回ったんですが、まだ初々しい18歳の若者には素晴らしい体験になりました。私は昔から時計やクロノグラフ、ポップな時計が大好きだったので、ある時計店で鳩時計やスイスのアーミーナイフなどを見て回っていたのですが、そこにタグ・ホイヤーの時計がずらりと並んでいて、「これは何だろう」 と思ったのです。プラスチックのベゼルのフォーミュラ1 クロノグラフがあって、一目で気に入ってしまいました。それが1995年製フォーミュラ1でした。本当に素晴らしかったんです。その時私は1,000ドルが限度額のクレジットカードしか持っていなかったのですが、それを使ってこの時計を買って、それで有り金を全部使い果たしました。残りの旅行では、お金がなかったので、国連でもらったクラッカーやチーズで食いつなぎました。

 

The Edge:つまり、あなたのコレクションをスタートさせたスポンサーは、国連というわけですね。

モーガン:友だちには内緒です。彼らもまさか私が国連のおかげで旅行を続けられたとは知らないと思います(笑) 。でも素晴らしい思い出です。それ以来、私はタグ・ホイヤーにはまってしまい、1500番台と、もちろん2000番台のシリーズをコレクションしてきました。2001年になって、カレラやモナコの復刻版が出たのを見て、最初に頭に浮かんだのは、これが復刻版だとすると、オリジナルはどんな時計なんだろう、ということでした。そこで、もちろんGoogleで検索しました。いや、当時はまだGoogleはなかったと思うので、アクセスしたのはおそらくYahooでしたね。それでオリジナルを見つけて、それも欲しくなったわけです。

 

The Edge:最初に買ったそのタグ・ホイヤーはまだ持っていらっしゃいますか?

 

モーガン:もちろんです。しかも、2013年のホイヤーサミットに参加した際に、タグ・ホイヤー スタッフの一人が親切な方で、全てをリフレッシュしてくれたので、今持っているのは、クォーツムーブメントも、ダイヤル、ベゼルも全て新品です。

 

The Edge:今着用している時計は何ですか? [モーガンが自分の手首を見せる] え、嘘でしょう⁉ 時計をしていないなんて!

 

モーガン:そうなんです() 。いつもはダブルリスティングなんですが、今日は取材だと言うので…。

 

ニール:Apple Watchとダブルリスティングしているんですか?それとも普通の腕時計2本で?

 

モーガン:普通の腕時計2本ですよ。

 

ニール:すごいな! 僕にはとてもできない。今度は僕の番ですか。

Heuer Autavia 2446C GMT

The Edge:ええ、ぜひ手首を見せて下さい。

 

ニール:2446C GMTです。

 

The Edge:いいですね。

 

ニール:これはリストアされていない時計なんですが、私にとってはとても珍しいことなんです。いつもは、元の状態に戻すようにしていますから。私と時計との歴史は、引き出しの中にあった時計を見つけたのがきっかけ、というよくある話から始まります。祖父が亡くなった後、祖父が靴下を入れていた引き出しから祖父のパイロットウォッチが見つかりました。それが、祖父が軍の歯科医だったときに新品で買ったグレーダイヤルの「モナコ」 だったのです。でも壊れていたので、私の18歳の誕生日祝いにタグ・ホイヤーに送って直してもらいました。今、私は37歳ですから、かなり前のことになりますね。そこには、当時まだ在庫として保管されていた最後のヴィンテージパーツが使われました。そうして時計が戻ってきたのですが、主ゼンマイやその他の部品はオリジナルのままでした。素晴らしいことです。直してもらう条件が、ちゃんと使うことだったので、大学時代はずっとこの「モナコ」 を着用していました。

 

その後、25歳ぐらいのときにベルギーでアベル・コール氏と出会い、迷惑がられながらも、私のためにその時計をリストアしてもらうようなんとか彼に頼み込んだのです。これが基本的に、私がホイヤーにこだわるようになった (ハッピーで) 悲惨なきっかけでした。その頃は、私の会社も成長してきて、収入も少しずつ増えていました。そんな時にeBayで「カレラ」 を見つけて、これはリストアする価値があると思ったので、父のためにアベル氏にリストアしてもらいました。そうしたら、父が僕の30歳の誕生日にプレゼントしてくれたんです。つまり、祖父からは「モナコ」 を、父からは「カレラ」 を譲り受けて、それまではこのいずれのモデルも自分で買ったことがありませんでした。「オータヴィア」 や他のモデルは手に入れていましたが。カレラ「Dato」 を買ったのは、アイコニックなブラックのダイヤルに夢中だったからです。

 

The Edge:そんな風に年齢の節目を時計で記すというのはいいアイデアですね。40歳はどうされるつもりですか?

ニール :その前に、もう一つの節目があるのです。キャリバー11のチームがオータヴィアを復刻させた年に息子が生まれたのです。だから、今年3歳になる息子は箱に入った新品を持っています。と言っても、私が何度か着用させてもらいましたが。実は、かなり長い間、マックス・ブッサー氏の時計が欲しかったので、40歳の記念はおそらくMB&Fの時計になると思います。私と彼は大の親友なのですが、今まで一度も彼の時計を買ったことがないんです。妻に殺されてしまいますからね。でも40歳までには手に入れたいと思っています。

Heuer Monaco 1133B ("McQueen") - Morgan King's Collection

The Edge:タグ・ホイヤーに特別な思い入れがあるという点ですが、モーガンさんにとってスティーブ・マックイーンは特別な存在なんですよね。そのことも一つの要因なのでは?

 

モーガン:スティーブ・マックイーンには恋心のようなものを抱いています。彼こそが私の理想とする男性像です。もちろん、映画『栄光のル・マン』 も素晴らしかったし、スティーブ・マックイーンといえば、ポール・ニューマンを思い浮かべる人も多いはず。なので、この親近感をクロノグラフに対しても持っていて、ニールが「オータヴィア」 に惹かれるように、私は「モナコ」 に引き付けられるんです。私はとにかく「モナコ」 のスクエアシェイプ、ダブル“スリー”が好きです。1133ケースです。「モナコ」 は1969年3月3日に発表されていますよね。スリーとスリー。偶然でしょうか。私には分かりません。イルミナティが関わっているんでしょうか?

 

The Edge:イルミナティが出てきたのでお聞きしますが、プロトタイプはどうやって手に入れられたのですか?

 

モーガン:うーん、どうでしょう。(苦笑) 誰にも言わないと誓ったので。

 

ニール:大丈夫、モーガン。僕もタグ・ホイヤーとはトラブルになりそうなことを色々とやってきましたからね。たぶん、いつか、このことについても聞かれると思いますが。

 

モーガン:警戒しているだけですよ。会議に呼ばれて、監禁されないようにね。

 

ニール:[笑いながら] 30代前半の頃、ニューヨークで17人の弁護士から停止命令を受けたことがあり、それがきっかけで目が覚めました。

 

The Edge:その点はまた後で話しましょう。モーガンさん、どうやって手に入れたのかは明かしてくれないのですね。

 

モーガン:もちろん教えますよ。ご存知のように、ホイヤーのコミュニティは極めて親密で、かなり熱狂的です。クレイジーなほどのホイヤーファンもいます。

 

ニール:ごくわずかですがね。

 

モーガン:ごくわずかですね。アベル・コール、ポール・ガヴァン、リチャード・クロスウェイト、ジャンニ、パオロ、そして有名なフランス人のローランは、私たちが愛してやまない人たちです。これだけのメンバーが集まれば、必ずやレアなものを発見できるはずです。私が初めて「モナコ」 を買い始めたときは、たいていeBayでしたが、ジェフ・スタイン氏が手ほどきをしてくれました。こうした人たちにはサミットで会うことができました。リチャード・クロスウェイト氏はクルマ関係の雑誌の編集者であり、テストドライバーでもあります。

 

ニール:彼は根っからのレポーターで、クルマなどに関する彼のレポートは興味を大いにそそられる素晴らしい内容です。

 

モーガン:その通りですね。それに彼は「僕はモナコが好きだし、君もモナコが好きだよね」 と言ってくれました。彼がホイヤーのモナコに関する本を書くために集めたモナコの中には実にクールなものがありましたよ。その当時私が持っていたモナコは3、4点に過ぎませんでした。私の経歴をご存知かどうかは分かりませんが、私はかなりのコレクターです。野球カードのコレクターであり、コミックブックのコレクターであり、おもちゃのコレクターであり、毎年コミコンには欠かさず出かける“ビッグキッド”です。そこで私は、「リチャード、もしモナコを売りたいと思ったら、僕に連絡してくれないか? いつでも構わないから」 と言ったんです。そして本が出来上がった後、彼が「もう十分愉しんだから、いくつかモナコを売却しようと思っている」 と連絡をくれました。どのモナコを手放すつもりなのかと聞くと彼は、「本で紹介したモナコ全部」 と答えたので、「それって、自分の腎臓を売るようなものじゃないか? 自分の子供を売るようものだ。どうすればいいんだ?」 って考えてしまったんです。でも、結局値段を定めて、本に載っているモナコを全部買い取りました。つまり彼の「モナコ」 コレクションを手にしたわけです。ほとんど全てという感じですね。かなり素晴らしいコレクションですよ。

 

ニール:それにしても随分大胆な決断をしたのですね。面白い。まさに勇気のいるスワンダイブをやり遂げたような感じですね。

 

モーガン:中途半端にやるくらいなら、やらない方がいいですからね! リチャードは紳士でしたが、すべてを売ってくれたわけではなかったんです。でもそのおかげで、私のコレクションに今ある2つのプロトタイプを手に入れることができました。今後も私のコレクションであり続けることを願っていますが、妻に殺されない限りでしょうかね。でも手放すことになったら、次はニールや彼の息子さんのものになるかもしれません。

 

さて後編では、色の魔法や茶目っ気を持つことの重要性に話が展開。どうぞお楽しみに。

Part of Morgan King's collection