時計 スポーツウォッチ
7分
ニコラス・フォルケス 作家、ジャーナリスト、『Vanity Fair on Time』誌の編集者、『GQ』誌のラグジュアリーエディター、英国の新聞紙『FINANCIAL TIMES』
「ドライバーに最も人気のホイヤー クロノグラフは?」― 1968年の広告に記載された質問です。「どのようなドライバーであるかによって異なる」というのが賢明な答えでしょう。「レーシングドライバーはカレラ45のような時計を好みます。極めてシンプルであるため、ラップを計時している時にストップウォッチを瞬時に読み取ることが出来るからです」。
その広告が掲載されてから半世紀以上、オリジナルのカレラの発表から60年近く経った現在でも、最も信頼できるホイヤー クロノグラフであるカレラは、シンプルであることを特徴としています。
ひとつ前に誕生したオータヴィア、そしてその後に続いたスクエアケースのモナコと合わせ、カレラは、ダイナミックな黄金時代を築いたホイヤーのタイムピースのホーリートリニティの一つです。それは、エネルギッシュな若きジャック・ホイヤー会長が社を率いて、ホイヤーの名を冠したストップウォッチ ブランドが卓越したモーターレーシング用腕時計のメーカーとして台頭してきた時代でもありました。
ホイヤー カレラは言うなれば、マシンから余すところなくパフォーマンスを引き出すというシンプルな目的のために、余分な装飾と装置が取り除かれたレーシングカーに相応します。この余分な要素をそぎ落としたシンプルさが、永続的な魅力を作り出しているのです。
カレラは、ホイヤーがモータースポーツと切っても切り離せないということを示す時計でした。 かつて1960年代初頭には、極めて控えめなドライバーであっても、その名前を聞けば条件反射的に心の中のファンジオを目覚めさせたものです。 1950年から1954年まで開催されたカレラ・パナメリカーナは、その短い期間にも関わらず、自動車レースがある限り生き続ける伝説となりました。
メキシコで、完成したばかりの2,178マイルの高速道路に沿って国境の端から端まで国の全長に匹敵する距離を5日間連続で走るこのレースは、奇抜でスリリング、そして体力を消耗する、ドライバーや観客にとって過酷な、公道を使った究極のレースでした。1950年代の中央アメリカは、人命に対するセンチメンタルな感情でも、健康や安全の制度が過度に制限された文化でも知られてはいませんでしたが、カレラは、シンプルに人命に対する危険が大きすぎるという理由から中止されることになりました。
1962年頃、ホイヤーが計時機器のサプライヤーであったセブリング12時間レースで、ジャック・ホイヤーはそのレースについて耳にします。そしてその名は、まるで魔法のように彼を魅了したのです。彼は回想録の中でこう話しています。「スペイン語の単語“carrera(カレラ)” を初めて耳にしたとき、その魅惑的な音の響きだけでなく、道、レース、コース、キャリアなどを含めて、様々な意味をもったその言葉がとても気に入った。全てがホイヤーにぴったりだと感じたのだ。そこで、スイスに戻ってから大急ぎで”ホイヤー カレラ” の名前を商標登録した」。
ジャックは、死と栄光の果てしないレースを想起させるこの言葉のロマンスに魅了されていましたが、デザインのビジョンについては申し分なく実用的な選択をしました。「学生のとき、モダンデザインの魅力を知った。ル・コルビュジエやチャールズ・イームズがデザインした家具はどれも素晴らしかった。建築家の中では、エーロ・サーリネンとオスカー・ニーマイヤーが大好きだった」。 カレラは、彼にとって「自分自身のデザインを実践する機会」となったのです。
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戦後間もない時期のクロノグラフは、スケールやサブダイアルがごちゃごちゃと取り付けられていることが多く、長距離電話から脈拍数まであらゆるものに対応する記号が所狭しと並べられていました。
こうしたものが全て一掃され、最新の製造技術と素材を用いて創り出されたタイムピースが、カレラです。その飾り気のないデザインは、機能を重視しているからこその結果なのです。
ちょうどその頃、時計用のガラスメーカーが、クリスタルの内側にフィットしケースの内壁に張力をかけたままに出来るスティール製リングを開発します。 テンションリングと呼ばれるそれは、クリスタルを固定し防水性を高めるものでした。 しかしジャック・ホイヤーは、それを単なる機能的な部品として使うことはしませんでした。その表面に情報を表示することを考え着いたのです。5分の1秒を計測するスケールは、文字盤からこのリングの傾斜した表面に移されました。これによって、文字盤がすっきりすると同時に、瞬時に着用者の目を集中させるさせ、レーシングドライバーがほんの一瞬見た場合にも一番重要な情報が読み取りやすくなったのです。
凹型のサブダイヤルによって新たなスペース感を作り出したタグ・ホイヤーは、当時、「革新的な3次元ダイヤルによって時を表示する」ブランドと呼ばれました。カレラの50周年記念の際に、ジャック・ホイヤーはこの時計を「新しく大胆であると同時に、落ち着きがあり、シンプルで、モータースポーツに鼓舞されたデザインの、装飾が全て取り除かれたクラシックでタイムレスなタイムピースである」と表現しました。
そして1969年、ホイヤーが有名な自動巻クロノグラフ ムーブメントを発表すると、この歴史的に重要な技術向上を受けた最初のカレラ モデルが生み出されます。
それ以前にカレラは、レーストラックで十分にその地位を確立し、1970年代初頭には18Kゴールド製の自動巻カレラがモーターレーシングにおける神髄として崇められるようになっていました。1971年以降は、フェラーリの新しいドライバーには、それぞれの名前が入ったゴールドの自動巻カレラが贈られるようになりました。
しなやかなゴールドのブレスレットを備えた鮮やかなステートメントとして、カレラは、モーターレーシングが華やかだった時代を想起させます。それは、突然人命が失われることもある、激烈の時代でもありました。さらに心を揺り動かされるのは、ジャック・ホイヤーがロニー・ピーターソンに個人的に時計を贈ったという逸話。スーパー・スウェードのニックネームで知られるピーターソンは、1978年のイタリアGPで事故によって命を落としましたが、その死後もなお、ドライバーズチャンピオンシップで2位を維持し続けました。 時計にはとてもシンプルに「
‘SUCCESS’
RONNIE PETERSON
FROM
JACK. W. HEUER」と刻まれています。
モーターレーシングの歴史を写したスナップショットのようなこうした時計は、人とマシンの物語を語り継ぎます。そしてカレラは、その物語を今なお紡ぎ続けているのです。
タグ・ホイヤー カレラ キャリバー ホイヤー02 クロノグラフ ポルシェスペシャルエディション レザーストラップ モデル /スティール製H型ブレスレット モデル
ニコラス・フォルケス 作家、ジャーナリスト、『Vanity Fair on Time』誌の編集者、『GQ』誌のラグジュアリーエディター、英国の新聞紙『FINANCIAL TIMES』