ストーリー COLLECTED, VOL. 5、パート1

5分

タグ・ホイヤーの愛好家を迎えてのインタビュー、第5回は、ショーン・ウェインスタインを迎え、タグ・ホイヤーのヘリテージ・ディレクターであるニコラス・ビーブイックと対談を繰り広げます。ウェインスタイン氏は、Instagramのアカウント「Neutrino14」にカルト的なフォロワーたちを率いる、ヴィンテージホイヤーの熱狂的なコレクターです。

ニコラス・ビーブイック(以下NB) :ショーン・ウェインスタインさん、本日はあなたのような素晴らしいコレクターをお迎えできて大変光栄です。まず始めに、あなたがヴィンテージのホイヤーをコレクションするようになったきっかけを教えていただけますか?

 

ショーン・ウェインスタイン(以下SW) :そうですね。人生の後半にやり始めることというのは、大体子供時代から影響を受けていると思うんです。少年時代私は、フォーミュラ1が大好きだった。あまりに好きだったので、私が育った南アフリカから英国に移り住んだ後、学生時代のニックネームはずっと“ジョディー”でした。いつも、南アフリカのフォーミュラ1ドライバー、ジョディー・シェクターの話ばかりしていましたから。若いころの私の生活には常にフォーミュラ1があり、大好きだったチーム、フェラーリが纏っていたアイコニックなホイヤーの紋章が、頭の中に焼き付いていたんですね。そして、時計に興味を持ち始めてからは、ホイヤーの紋章が常に記憶に浮かび上がり、ホイヤーの時計に魅力を感じるようになったんです。こうしてホイヤーを購入するようになり、もう30、40年ほど、可能な限り、ホイヤーを収集し続けていますよ。

NB:コレクションの最初の一本は何でしたか? 全ての始まりとなった一本は?

 

SW:自分の財布から初めて購入したホイヤーは、確か、当時の恋人に贈ったものだと思います。彼女は、今の妻なのですが。フォーミュラ1ウォッチでした。学生だったので、あまりお金がなかった。働き始めてからは、少年時代に欲しかった時計など、もう少しいいものが欲しくなった。だから、二番目に手にしたウォッチは、大きなブルーのモントリオールでした。大きな、70年代の時計です。90年代後半の事だったと思います。その時は何も考えずにその時計を購入したんですが、それからは、次から次へと手にするようになって、今に至ります。

NB:フォーミュラ1のファンであった時代、「ジョディー」と呼ばれていた頃に、ドライバーがウォッチやロゴを身に着けていたという記憶はありますか? そして、その記憶が影響したモデル選びをしたことが?

 

SW:私はフェラーリが大好きなんです。ホイヤーの記憶とはちょっと違うかもしれませんが、ラウダがクラッシュして重症を負った時のことは深く記憶に残っています。本当に心配したんです。翌日学校へ行くと私は、「僕ら全員ラウダのために祈らなければ。死んでしまうかもしれないんだから」と言ったのを覚えています。クラスメイトたちも一緒に祈ってくれました。その祈りが本当に彼を救う助けになったのかは、わかりませんが。このことが、時計選びの際にも私の心理にあったと思います。

デザインにも興味がありました。だから、他の誰も身に着けていないような、誰とも違う時計が欲しかった。70年代のウォッチは、まさにそれだったんです。今ではそんなに変わって見えませんが、90年代から2000年代初期には本当に風変りに見えた。それから私は60年代の時計に目を向けるようになり、そしてさらに50年代のものに魅了されるようになりました。

NB:それがあなたのコレクションのとても興味深い点の一つだと思います。@Neutrino14 のアカウントを見ると、黄金時代であった1950年代の珍しい構成のクロノグラフをすべて見ることができますね。そしてあなたは“忘れ去られたモデルたち”に改めてスポットライトを当てることがとてもお上手です。また他の人には区別がつかない隠れたエレメントに気づき、フォーカスされている点も大変興味深いです。ご自身はデザインに敏感だと?

 

SW:そう思いたいですね。皆さんはそのように思われているかもしれませんが。あなたは私にとってとても大切なことをひとつ言いました。例えば、ホイヤーは多くの素晴らしい時計を作っていますが、コレクターの間には常にトレンドのものとそうでないものがあります。皆がトレンドのものばかり見て、「ああ、自分には高根の花だ」と思ったり。実際はとても幅広い種類の時計が展開されているのに。コレクターの皆さんには、他の大勢が話題にしているからと言ってその時計にこだわる必要はないと言いたい。70年代の時計は評価されていなさすぎる。そして、多分クォーツ時代の初期のものも。ホイヤーが革新を起こしていた頃のものです。本当に、本当に魅力的な時計がたくさんあるんですから。だから、トレンドを追うだけではなく、自分自身の考えもしっかり持っていた方がいいんです。

NB:どのヴィンテージ ホイヤーを購入すべきかという質問をしょっちゅう受けます。私はそうした時、ちょうどあなたが言ったことを鍵として返答します。光が当たっているところから目をそらしてみなさいと。もちろん、4000ドルか5000ドルほど出して、ヴァイセロイ1163 モデルを手に入れてもいい。でも、もっと珍しいものに目を向ければ、ハラマやモントリオール、ケンタッキーなどといったモデルは、2000~3000ドルで買うことができるんです。こうした時計の本来の価値を考えると、すごいことです。あなたは音楽にも熱狂的だとお伺いしました。芸術と音楽と、デザインと、そして文化のブレンドをベースにするあなただからこそ、他のコレクターに比べて幅広い趣向と理解をお持ちなのかもしれないですね。

 

SW:驚くべきことは、その芸術作品で非常な尊敬を集めている人々が、ホイヤーを身に着けているということです。最近は、オスカー・ピーターソンがモナコを着けている写真を見ましたよ。驚きです! 知りませんでした。それからスタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』。私の大好きな映画なんですが、彼がモナコを身に着けている写真が何百枚も残っている。そこには歴史があるり、とてもわくわくします。

NB:以前お話しいただいた素晴らしいストーリーに、自然と繋がりますね。今あなたがおっしゃったように、タグ・ホイヤーには、オスカー・ピーターソンやスタンリー・キューブリックなど、偉大な名前が並びます。もちろん、スティーブ・マックイーンも。それから、モナコを腕にコックピットに座るサミー・デイヴィスJr. のアイコニックな写真もあります。そして、運命的に、幸運に、そのモナコはその後、素晴らしきヴィンテージ ホイヤーのコレクションに入るわけです。つまり、あなたのコレクションです! どのようにしてこの時計があなたのところへ来たのかとても興味があります。教えてくれませんか?

 

SW:話せば長くなりますよ! 先に言った通り、子供の頃からの影響なんです。60年代、若かった私の両親は、サミー・デイヴィスJr. の大ファンだった。家では彼の歌が流れていました。子供の頃、両親が『オーシャンと十一人の仲間』を持っていたのを覚えています。フランク・シナトラやサミー・デイヴィスJr. が出演していた映画です。

それから、サミー・デイヴィスJr.のモナコが売りに出されるという、ベトナムで軍隊と一緒に写った彼の魅力的な写真を伴った記事を読んだんです。ちょっとおかしいですよね。公民権運動とベトナムという、とても興味深いコンビネーションの中に、サミー・デイヴィスJr.はいたわけですから。ウォッチはとても、とても美しいものでした。歴史に魅力を感じますが、ウォッチはもっと魅力的です。状態も素晴らしかったので、入札して、そして、幸運にも手に入れることができたというわけです。本当に嬉しかった。

ここからもうひとつ、とても素敵なストーリーがあるんです。私はウォッチを手にして、とても、ともて嬉しかったんですね。それから数年後、父が他界しました。父の遺品を整理していて本を片付けていた時、サミー・デイヴィスJr. の伝記を見つけたんです。ふたりが会った時にもらった、サミー・デイヴィスJr. 本人のサイン入りの。その本を開いて見てみると、その中に、このウォッチを着けたサミー・デイヴィスJr. の写真があったんです! そして思った。これは運命だ。私はこの時計を持つべきして持ったんだ、と。

NB:どこで売りに出されていたか覚えていますか? その時計を実際に見ましたか?それとも目にすることなく購入したのでしょうか?

 

SW:ウォッチの動画を見ました。ダイヤルが、伝統的なモナコの光沢のあるダイヤルなんです。そのダイヤルがどのように光を反射するかがとても重要なんです。それを、動画で見ることができる。オークションはアメリカで行われていました。入札して、届いたウォッチには、90年代に作られたサミー・デイヴィスJr. の遺品売却の書類が付属していました。確か、他の5本のウォッチと一緒にたった200ドル程度で落札されたと思います。嬉しい瞬間でした。

 

NB:信じられない歴史がありましたね。いつも言うんですが、手に入れるべき時計は、自らその人のもとへやってくるものだ、と。そしてもちろん、その過程では予期せぬことが起こるものだと。ご自分のウォッチに誇りを持っていることは、とても素敵ですね。もうひとつ、ご自分の名前を冠したウォッチをもつコレクターのひとりとなった経緯に、素晴らしいストーリーがありますね。ショーンタヴィアが生まれた経緯を教えてください。

 

SW:いい話ですよ。2007年の事です。ウェブフォーラムでウォッチについてのやり取りが盛んだった時代がありました。例えば、ジェフ・スタインの「OnTheDash」のような。そこでは、「それは本物に見えないな。偽物に違いない」というようなメッセージがよくあげられていました。ジェフは偽物のギャラリーを持っていて、人々はそれをもとにリサーチしたり話し合ったりしていた。知っている限りのオータヴィアのモデルがそこにあったんですが、最初のモデルを除いて、アワーマーカーにアラビア数字を採用したものはなかったんです。ある時私は、ポートベローマーケットのミリタリーウォッチのディーラーのところで、このウォッチを見つけた。そして、「そんな馬鹿な。アラビア数字がダイヤルにあるなんて、偽物に違いない」と思いました。でも私は、そのディーラーの気を悪くしたくはなかった。彼は、「いやいや、いいモノだよ。ルーペで見てごらんよ」と。ルーペで見ると、そのウォッチはすごくパーフェクトに見えたんです。アラビア数字のオータヴィアは本当は存在するのかも、偽物ではないのかもしれない、と思うくらい。

帰宅してフォーラムでその話をしたら、そこの人たちは「いや、それは偽物だ」と。そしてジェフは、「偽物のギャラリーを見てごらん、その中にあるから」と。でも、見れば見るほど人々は「ううん、見たことがある、本物かもしれない」と言い始めた。そして最終的に、フォーラムの皆がそれが本物だと同意した。そのモデルが、とてもいい状態で他にも見つかったんです。明らかに偽物ではなかった。素晴らしい発見でした。

その後、ジェフが「ショーンはこのウォッチで僕らを何ヵ月も悩ませ続けた。このモデルは“ショーンタヴィア”と呼ぶことにしよう」と。これが、この名前の由来です。実際にこの名前を使ったオークションハウスがあったとか。

NB:それは、ケニア空軍モデルだった?

 

SW:このウォッチをもっと探していたんですが、ある男がこのモデルをたくさん持って私のところにやってきたんです。ケニア空軍から来た人物だったと思います。この時もちょっと不信感を抱きましたが、ストーリーは作り話にしてはおかしすぎた。ケニア空軍モデルの偽物など作ろうと思うでしょうか? だから、この男から複数購入しました。後になって、「OnTheDash」を見た人が私に「君のスレッドを見たよ」とメッセージを送ってきた。「私の父はケニア空軍にいたんだ。父はその時計を所有していて、今は私が持っているんだ」と。

 

NB:驚きですね。

 

 

ショーンとの対談のパート2をぜひご覧ください。コレクターのコミュニティやショーンが未だに探し求めているウォッチについて、そして彼の中の最高のヴィンテージ ホイヤーについてお楽しみいただけます。どうぞお楽しみに!