ストーリー カレラ・パナメリカーナの伝説

8分

タイムマシンのギアをバックに入れて、記憶を辿る旅に出かけ、タグ・ホイヤー カレラの疾風迅雷の歴史を紐解いていくことにしましょう。35周年を迎えたカレラ・パナメリカーナの豊かな歴史と、タグ・ホイヤーとの輝かしい関係をご紹介します。

時は1950年。長く、埃っぽい、何もない道が続いている風景を思い描いてみてください。そこには、メキシコの灼熱の太陽が燦燦と降り注いでいます。沿道には何百人もの人々が並び、じっと待っています。数分経過。足元の大地が震え始めます。遠くには、猛スピードでこちらに向かって走ってくるセダンの大群が見えます。エンジンがキーキーと音を立て、ゴムがきしむ音が聞こえます。ラッシュアワーのクルマの渋滞にドライバーが怒っているのではありません。あおり運転をしているわけでもありません。これがカレラ・パナメリカーナが初めて開催された時のことです。

生粋のレーシングゴールド

南北アメリカ大陸を縦断するパンアメリカンハイウェイの自国区間の完成を記念して、メキシコ当局はあるアイデアを思いつきます。それが、9ステージ、5日間、2,100マイル(約3,400km) のレース。今に伝えられる「カレラ・パナメリカーナ」です。過酷で、ドライバーたちを極限まで疲労困憊させる、生粋のレーシングゴールドでした。高速で平坦な道路。曲がりくねった山岳地帯の上り。熱帯の暑さと手足の自由が奪われるほどの寒さ。カレラ・パナメリカーナには、その全てが揃っていました。このレースに出走するには、ただ運転がうまければいいというものではなく、メキシコの凹凸の激しい地形を鉄の馬車を全速力で走らせるグラディエーターさながらに戦闘的にならなければなりませんでした。

  • 2022

カレラという名

時は1962年。カレラ・パナメリカーナが安全上の問題から中止されてから7年後のこと。ここに登場するのが、ジャック・ホイヤーです。勝利にこだわるドライバーであり、モーターレーシングをこよなく愛するジャックは、有名な12時間耐久レースの開催地であるアメリカ・フロリダ州のセブリングを訪れていました。ここで彼は、ドライバーのペドロとリカルドのロドリゲス兄弟の両親とたまたま話をする機会があり、ロドリゲス夫妻が、世界一危険なレースといわれる「カレラ・パナメリカーナ」に参戦できるほど自分たちの子供たちが大きくなくてよかったと話すのを耳にします。この「カレラ」という言葉の響きにジャックは魅了されてしまいます。スイスに帰国するや否や、「ホイヤー カレラ」の名称を商標登録します。高速走行時でもドライバーがダイヤル表示を読み取りやすいよう、すっきりとしたダイヤルのレーシング クロノグラフを作ることを考えたからです。

数十年後、ホイヤーは自伝の中で「カレラ」という名前に込めた思いをこう語っています。「私は、セクシーな響きだけでなく、道路、レース、コース、キャリアなど、様々な意味を持つこの『カレラ』という言葉に惚れ込んでしまったのである。全てがホイヤーにぴったりだと感じたからだ」 1963年、初の「ホイヤー カレラ」が発表されます。ホイヤー カレラ Ref. 2447。別名「カレラ 12」の誕生です。

  • 2022

リバイバル

1987年、カレラ・パナメリカーナが復活を遂げます。レースは、7日間の開催で、1950年代のオリジナルコースの一部を含む2,000マイル(約3,200km) のルートで行われるなど、いくつかのアップデートが施されました。そして 2022年10月14日、カレラ・パナメリカーナは35周年を迎えます。過去の命知らずのレーサーたちへのオマージュを捧げる現在のカレラ・パナメリカーナは、モータースポーツ界とタグ・ホイヤーにとって大きな意味を持つこのレースの伝説を今に伝えます。これからも長くこのレースが続いていきますように。