ストーリー 注目の人と時計:ジジ・ガーナーが語る父、ジェームズ・ガーナー

俳優ジェームズ・ガーナーの娘、ジジ・ガーナーが語る、父親が遺したもの

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今週は、ハリウッドの伝説的人物、ジェームズ・ガーナーの娘ジジ・ガーナーをウェストハリウッドから迎え、スクリーンでは見られない素顔の父親像を交えて、スターの人生について話を伺いました。2022年6月11日、ニューヨークのフィリップスで開催されるオークションで、この映画界のアイコンが愛した唯一無二のホイヤー カレラが初めて出品されます。この時計がジェームズ・ガーナーにとってなぜそれほど重要な意味を持っていたのか、そして、この時計がなぜ唯一無二なのかをご紹介します。

写真提供:インディアナポリス・モータースピードウェイ

それでは、早速、ジジとのトークを始めることにしましょう。

 

The Edge:あなたのお父様を3つの言葉で表すとしたら?

ジジ:そうですね。まず頭に浮かぶのは「witty(機知に富んだ) 」。父はとても機知に富んでいて、面白い人でした。いつも何か人を笑わせることをして注目を浴びていました。それにとっても気前がよくて、時には失敗もしたりしました。そして、「interesting(興味深く面白い) 」。3つ目は「fatherly(父親らしい) 」ですね。私自身の父との関係は別にしても、多くの人が理想の父親像を私の父に抱いていたと思うので。

The Edge:素晴らしい方ですね。俳優として必要な本当に大切な特性、つまり人を和ませるとか、人に与えるとか、さらにはリーダーやメンターとしての役割を果たすといったものを備えていたんでしょうね。

ジジ:その通りです。父は本当に大らかな人でした。ほとんどの俳優さんは、他の俳優さんと一緒に本読みはしないんです。スクリプターとか他の人にやらせる。でも、父はいつも自分でやっていました。

The Edge:私生活でもそうだったということでしょうか? あなたとお父様との関係はどのようなものだったのでしょうか?

ジジ:父はとても複雑な人でした。とても陽気でフレンドリー。でもそれだけじゃなくて、内向的な面も持っていた。だけど周りにいた人たちはそのことにはあまり気付いていなかったかもしれないですね。外ではカメラを意識していなければならないので、家で常に “オン” というわけにはいきませんでした。でも、父とは素晴らしい関係を築いていました。父はとても “楽しいパパ” だったから。床に腹ばいになったりして子供たちと一緒に遊んでくれる人でした。私がちょっとワイルドなことをしようとしたとき、例えば、バルコニーからプールに飛び込もうとしたときにも、父は「ダメ」とは言いません。安全かどうかを確認するために、まず自分でやってみせるんです。ホテルのスイートルームに泊まったときには、スプリントカーを用意してくれていて、部屋でレースをしたんですよ! 父はとても楽しい人だったし、子どもたちと一緒にいる時間をとても大切にしてくれました。

 

写真提供:インディアナポリス・モータースピードウェイ

The Edge:本当に楽しそうですね。お父様のレースに対する情熱も共有していらしたんですか?

ジジ:もちろんです。父が好きなものは何でも、私も大好きでした。父が家にいるときは、リバーサイド・レースウェイやオンタリオ・レースウェイなど、よく一緒にレース観戦に行きました。1966年に映画『グラン・プリ』に主演した際にボブ・ボンデュラントの指導を受けて、その時父は、本当にレースに魅了されてしまったんです。この映画が父のモーターレーシング熱の出発点であることは間違いないと思います。とても興味深いのは、多くのカーレーサーたちが、父がプロのレーサーになったらきっと大成功しただろう、と言っていたことです。

The Edge:最高の褒め言葉ですね。それで、お父様はご自分でレーシング会社を立ち上げたんですよね。

ジジ:ええ! AIR(アメリカン・インターナショナル・レーシング) という自分のレーシングチームを持っていました。すごく気に入っていました。NORRAなどのオフロードレースが大好きで。バハ1000では2位になったこともあるんですよ。バハ500やミント400にも出場しました。ル・マンなどの耐久レースも。父が自分で運転することも多かったですし、父のチームのドライバーがデイトナなどでレースをしているときは、必ず応援に駆けつけていました。

The Edge:お父様の時計への強い興味は、このレースへの想いから生まれたと言えるのでしょうか。

ジジ:面白い質問ですね。だって、父が『グラン・プリ』に出た1966年当時は、モーターレーシング界で時計に対する関心がものすごく高まっていて、新しい形のスポンサーシップやコラボレーションが行われるようになってい時期ですよね。もちろん、レースでの計時には卓越した時計やストップウォッチはマストハブです。トレーニングやレースで時計を多用するようになり、本格的に時計が好きになったのは、この頃からだと思います。

 

写真提供:インディアナポリス・モータースピードウェイ

The Edge:お父様が身に着けていた時計について、何か具体的な思い出はありますか?

ジジ:まだ小さな子どもだったので、最初はそうしたことに気付かなかったのですが、そのうち、父がドレスアップしている時や、日常生活の中でも、何度も何度も同じ時計が目につくようになりました。それで父の時計のことを意識するように。そこに父がいつも着用していた1本の特別な時計があったんです。それが「ホイヤー カレラ」(Ref. 3647N) でした。日常生活だけでなく、TVドラマ『ロックフォードの事件メモ』を撮影しているときにも着けていました。それからずっと後になって、この時計のダイヤルに何が印刷されていたのかを調べようとする人たちでネットの掲示板が盛り上がったんですが、誰にも分からなかったんです。私も、ある男性から連絡をもらって、私がその時計を持っているかどうか尋ねられるまで、それが重要なものだとは思ってもみませんでした。その人は、ダイヤルに何が書かれているのかを見てみたいと言ったんです。そこにあったのは、他の何でもない、父の名前でした!

The Edge:それがきっかけでコレクションに興味を持ち、お父様の時計についてもう少し詳しく知りたいと思われたのですか。

ジジ:その時点では、父の名前がダイヤルにプリントされているということの意味がよく分かりませんでした。何と言うか、「ジェームズ・ガーナーが持っていたんだから、“ジェームズ・ガーナー” って書いてある時計でしょう」という程度で(笑) 。まさかそれが時計コレクターにとって、こんなに希少価値を高めるものだとは思いませんでした。ある媒体がこの時計についての記事を書いてくれて、その際に時計を分解して中まで見てくれたんです。その結果には驚きました。

The Edge:それでアイコニックな時計だと分かったわけですね。

ジジ:そう「アイコニック」と言うのがぴったり。つまり、明らかに一点物だったので。そして、ホイヤーがダイヤルに何かを書き加えるなんていうことは、ほとんどなかったということも知りました。イニシャルやコラボロゴのようなものが入っている時計はいくつか見たことがありますが、人の名前が入っているものは見たことがありません。

The Edge:まさにおっしゃる通りです。つまり、お父様のために特別に作られた特注品ということなのでしょうか?

ジジ:その通り。まだ謎が残るところもあるんですが、どういう経緯か、父は自分の名前が入ったカレラを手に入れたというわけですね。しかも、他の表示と同じフォント、同じ色のインクで書かれているので、元々製造された時点で入ったものだと思います。本当のところは誰もわかりませんが。『グラン・プリ』の撮影に関わったか、この映画を見たかしたホイヤーのどなたかが、父にその時計を着用して欲しいと思ったんじゃないかと推測しています。面白いですよね。だって父はその時計を文字通り片時も離さず家で着けていたんですから。『ロックフォードの事件メモ』でもいつも。このドラマの宣伝写真や雑誌などを見ていただけると父がこの時計を着けているのは分かるのですが、ぼかしがかかっていて、ダイヤルには何が書いてあるのかは分からないんです。この本当に珍しい特徴を発見したときは、啓示を受けたようなちょっとした感動を覚えましたね。

The Edge:なんて素敵なミステリーでしょうか。素晴らしいストーリーだ! お父様が時計愛好家だったことは間違いのないところですが、何本ほどのコレクションをお持ちだったんですか?

ジジ:膨大なコレクションと言うものではありませんでしたが、クラシックなコレクションでしたね。父はカルティエの時計にもこだわりがあり、ホイヤーの時計も2本持っていて、それが、私が今持っているものです。父のコレクションのほとんどは、母から、あるいは友人や同僚からプレゼントされたものだったと思います。そのうちの5本の時計が、6月11日と12日にニューヨークのフィリップスで開催されるオークションに出品されることになったんです。

The Edge:それだけでオークションが盛り上がること間違いなしですね。

ジジ:そうだといいのですが。このオークションは、私個人にとっても特別なイベントなんです。オークションの収益は、私が設立した「ジェームズ・ガーナー動物救護基金(JG-ARF) 」と名付けられた慈善団体に寄付されることになっています。私は30年以上動物の救護活動に携わっていますが、父の遺志を継いで、父の名を冠してこの慈善団体を始めました。

 

ジェームズ・ガーナーのホイヤー カレラ 写真提供:ジジ・ガーナー

The Edge:あなたが語ってくださったお父様の姿を素晴らしいかたちで継承していると思います。お父様の優しさ、大らかさ、他人への気遣いなど全てをひしひしと感じます。お父様はさらに、この時計を落札した超ラッキーなコレクターを最高にハッピーにするんです!

ジジ:きっといいオーナーが見つかると思います。この時計は特別なもので、父はほとんど毎日着けていました。出かけるときにも、家にいるときにも、ゴルフトーナメントやレースに出るときにも、どんな理由であれ、父はこの時計にとても愛着を持っていました。それだけ気に入っていたんだと思います。

The Edge:モーターレーシングはホイヤー カレラの歴史と原点において非常に重要な部分であり、この時計が作られた当時、ホイヤーにとってそうであったように、お父様が愛した全てのものがこの時計に集約されているように感じられます。そして、もう一人のホイヤーファン、スティーブ・マックイーンとのつながりもあります。お父様は映画『大脱走』で共演されましたよね。その後、仲良くなられたんですか。

ジジ:実は、スティーブ・マックイーンとは隣同士に住んでいるご近所さんでした! 『大脱走』の撮影から帰ってきたときに、二人ともミニクーパーに乗ってきたんです。父はブルー、スティーブはブラウンでした。私たちが住んでいた通りには、両側にスピードバンプ、中央にアイランドがありましたが、父とスティーブはそのミニに乗って、スピードバンプを完全に無視して通りを爆走していました。言うまでもありませんが、二人ともライバル心むき出しでした(笑) 。見ていてとても面白かったです。

The Edge:その他、お父さんとのモーターレーシングでの思い出で、今、印象に残っていることはありますか?

ジジ:父と行った最後のレースはよく覚えています。父は1975年、1977年、1985年のインディ500でペースカーを運転しました。最後に父と一緒にレースに行ったのは、1985年に父が最後にペースカーを運転したインディ500でした。目いっぱい盛り上がって、とっても楽しかったです。この日のことは、これからも変わらずかけがえのない思い出になっていくと思います。

The Edge:良い思い出なんですね。それ以降、再びインディ500に参加することはなかったんですか。

ジジ:1985年が最後です。タグ・ホイヤーの次の旅で初めてカムバックすることになります。ワクワクしています。

 

ジェームズ・ガーナー 写真提供:ジジ・ガーナー

The Edge:私たちも楽しみにしています。このインタビューを締めくくるにあたり、最後に、あなたが個人的にお父様から受け継いだもの、特に価値観や、お父様自身から受けた影響についてお聞かせください。

ジジ:私の父は先駆者でした。大手スタジオを訴えて勝った最初の俳優です。父はマッドマーベリックの件でワーナーブラザーズを訴えたのですが、それは父に譲れない主義があったからなんです。父は、自分の信じる主義に基づいて、当時横行していた俳優に対するある種の不公平と闘い、そして勝利したんです。この業界ではもう二度と働けないとさえ言われました。でも父はそんなことには耳を貸しませんでした。本当にまじめな性格だったんです。黄金律を信じ、他人をとても大切にしました。その一部でも私に遺伝してくれていればいいと思うのですが。私は、父の姿や父が遺したものを、できる限り最高の形で世に示したいと努めています。父の時計や父が愛用していた物を他の人たちと共有し、楽しんでもらい、大切にしてもらうことができる私はとても恵まれていると思います。

The Edge:あなたは、お父様の遺されたものを継いで立派な仕事をされています。最後に、差し支えなければ、お父様のことを考えたときにどんなイメージが心に浮かぶかをお聞かせください。

ジジ:以前、ある人から同じ質問を受けたのですが、その時は答えが思いつきませんでした。でも今は、父のことを考えるとまず父の手が浮かびます。おかしな答えに聞こえるかもしれませんが。父の手はとてもよく覚えています。子どもにとっては、お父さんの手ってとても大きいですよね。私が赤ちゃんの頃、片手で私を抱いていたことを父はいつも自慢していました。そんな父のことを思い出すと、その手が思い浮かぶんです。父はとても優しい人で、心の底から穏やかな人でした。以前、「どのように人に覚えていてもらいたいか」と聞かれたときに父は「笑顔で」と答えていました。

 

ジェームズ・ガーナー 写真提供:ジジ・ガーナー

父、ジェームズ・ガーナーについての興味深い話、思い出、貴重な情報を聞かせてくださったジジ・ガーナーに心からの感謝します。ジェームズ・ガーナーの名が入った一点物の「タグ・ホイヤー カレラ」の詳細と画像は、フィリップスのフルリストをご覧ください。この時計は、2022年6月にニューヨークのフィリップス・オークションハウスが主催するオークションに出品されます。