ストーリー タイムキーパーズ:ニクラス・クレッレンベルク(eスポーツ チャンピオン)

eスポーツ レーシング界を支える原動力として活躍する人物に迫る

6分

このインタビューシリーズでは、時間というものが極めて重要な役割を果たす立場に立つ人々をご紹介します。ゲストは、タグ・ホイヤーの公式アンバサダーに留まらず、実際の生活の中でミリ秒の違いがいかに重要であるかを示す代表的な方々です。起業家から、あらゆる種類の時間の放浪者(その多くがまるでパートタイムの哲学者のような人たちですが) や、世界最高のアスリートまで、頂点を極めた逸材がどのようにして私たちの知る「時間」というものを守ったり、曲げたり、あるいはタイムトラベルをしているのかを探ります。それぞれのテーマについて、彼らが実に魅力的なことを語ってくれるのを聞くのは決して損なことではありません。

ニクラス・クレッレンベルク(eスポーツ チャンピオン)

今回は、全く新しいタイプのアスリートに話を伺います。それが、“aTTaX Johnson” の愛称で知られるドイツの若きeスポーツ レーシング チャンピオン、ニクラス・クレッレンベルク氏です。実は、彼こそが初代eスポーツWRC世界チャンピオンであり、現在はポルシェAGでeスポーツ イベントのプロジェクトマネージャーを務めています。この仕事で彼が目指しているのは主にポルシェのeスポーツ活動の認知度を世界的に高めること。この目標を達成するために、彼は「ポルシェ タグ・ホイヤー eスポーツ スーパーカップ」を開催したり、eスポーツに関するあらゆる案件に対応する社内コンサルタントの仕事に取り組んでいます。 「そもそも eスポーツって何?」と思われているかもしれませんね。eスポーツは、ビデオゲームを使った競技スポーツとして急成長している分野で、ニクラスはまさにその立役者です。

いつ、どのようにしてeスポーツにはまったのですか? 全ての始まりは、2005年、誰もがやってみたいと熱狂していた『PGR3 – プロジェクトゴッサムレーシング3 -』というレーシングゲームでした。オンラインの友人たちと楽しく遊んでいました。やり始めるとすぐにトップタイムを出せるようになり、セミプロのeスポーツチームに誘われるようになりました。それから、国内や国際的なトーナメントにエントリーするようになって、1年後、16歳のときにドイツのチャンピオンになり、2006年にモンツァで開催された「World Cyber Games(ワールドサイバーゲームズ:WCG) 」への出場資格を得ました。   有名なYouTubeコンテンツの制作者だった頃はいかがでしたか? 私がYouTubeを始めたのは比較的遅かったのですが、そのおかげで、人とは異なる重要な視点を得ることができました。コンテンツの作り方や、それを使ってコミュニティとコミュニケーションをとる方法を自分で勉強しました。それまでの私は、どんなレースでも絶対に負けたくないと願う、若き “eスポーツレーサー” に過ぎませんでした。でも、コンテンツを作る場合には、勝ち負けは二の次でしかありません。そこで必要とされるのは、本物であること、エンターテインメント性に優れること、そして何にも増してかつてないほどにコミュニティに不可欠な存在となることでしたから。これは、エコシステム全体を異なる視点から理解するのに大いに役立ちました。

世界的なプロのeスポーツプレーヤーであること、そして若くしてご自分の実績が高く評価されていることをどう思われますか? 他のスポーツで活躍しているアスリートと非常によく似ていると思います。あなたはとても若くて、モチベーションも高いものの、プレッシャーへの対処という点では、先を行く先輩アスリートほど経験がありませんでしたよね。2006年の世界大会決勝トーナメントでは、自分のスピードから判断すれば表彰台に上れるはずだったのに、準々決勝で避けられる凡ミスを連発して負けてしまいました。人生でかつてないほどに緊張をしてしまい、それが敗因になったのです。人に見られている、条件が異なる、モニターやその他の周辺機器が違うなど、環境全体にただ対応できていませんでした。 でも選手としての活動期間が長くなるにつれて、このような “オール・オア・ナッシング” の状況にも対応できるようになっていきました。ただ、全般的には、若くしてプロのeスポーツ選手になったおかげで、世界中の実に多くの人々と出会う機会がもたらされたと思っています。eスポーツのシーンは、間違いなく私に影響を与え、今の私の中で非常に重要な役割を果たしています。

今までで最も印象に残っているeスポーツ レーシングの思い出を教えてください。 バーチャル世界ラリー選手権シリーズでの勝利ですね。2016年についにこの大会で世界チャンピオンになれたからです。常に世界選手権のタイトルを獲得したいと思っていたのですが、キャリア終盤になってようやく実現しました。すでに諦めかけていた、優勝という目標を達成したことで、全てを成し遂げたという気持ちになり、そのまま引退しました。   eスポーツ レーサーと通常のレーサーとの違いはどこにあると思われますか? eスポーツ レーシングには通常のレーサーとは異なるどんなスキルが求められますか? 違いよりも共通点の方が多く、それがeスポーツのエコシステム全体の中でeスポーツ レーシングを特別なものにしているのだと思います。eスポーツの優秀なレーサーであれば、実際のレースに必要なスキルも十分に持っていることになります。また、完璧ではないにしろ、ほとんどのサーキットを熟知していて、どのように攻めればいいかを詳しく理解してもいます。eスポーツのレーシングシーンでは、「マシンはバーチャルかもしれないが、レースはリアルだ」とも言われます。 でも、誤解しないで欲しいのは、eスポーツのレーサーとして強い人が自動的にリアルのレーサーとして活躍できるわけではないということです。やはり、本物のマシンを駆ってのフィードバックや、実際の運転での危険性に慣れなければなりませんからね。また別の心構えも必要になります。でも、すでにアスファルトの上で実績を上げたレーサーがeスポーツレーサーとして活躍している例をたくさん知っています。それにルールの面でも、実際のモータースポーツに近いものがあります。ただし、eスポーツのレースでは、急な天候の変化など、もう少し工夫してもいいかなと思うことはあります。   モータースポーツのパイロットによるシミュレーションと、eスポーツ レーシングとの違いは何でしょうか? 単にトレーニングのためとか、コースのレイアウトや特徴を知るためというのであれば、競技の要素が全くないので、eスポーツとは言えません。eスポーツ レーシングは、それ自体が競技種目であり、単にモータースポーツに参加するための手段ではありません。確かに、多くの若いリアル レーシングドライバーがeスポーツ レーシングの分野に足を踏み入れているのは素晴らしいことです。彼らがレーシングゲームに関わることは、両方のレーシング世界が互いに学び合うのに役立ちます。マックス・フェルスタッペンが「バーチャル バサースト24時間」で優勝したのを見て、eスポーツ レーシングもいよいよクールなものになったことを実感しました。

ところで、気になっているのが、あなたが運転免許証を持っているかどうかということなのですが。バーチャルでの運転と実生活での運転、どちらが先でしたか? 運転免許は持っています。でも不思議に思われるかもしれませんが、今は車は持っていません。私の日常生活では、車を必要としないからです。私は、免許を取る前からバーチャルカーを運転していました。実際の車にも応用できるバーチャルの運転技術があるのは確かなことです。だから、免許取得時にもそれほど多くの教習を必要としなかったのだと思います。ただし、バーチャルのサーキットでの運転は、街中での実際の車での運転とは異なります。誰もが知っていることですが。 それがeスポーツ レーシングやeスポーツ全般の素晴らしいところです。誰でも、苦労することなしに、ひとかどの人物になれます。始めるのに必要なのは、ゲームと、もちろん求められるスキルだけです。

バーチャルで運転するというのはどんな気分ですか? 練習の時と試合の時では気持ちが違いますか? 練習と試合との間にはとてつもなく大きな違いがあるのが普通です。練習中はミスしても問題ありません。再スタートしてもう一度やるだけです。でも、試合では些細な一つのミスが世界チャンピオンになれるかどうかを左右します。オフラインのトーナメントに出場する場合、条件が異なるため、もはや自分が自信をもって戦える環境ではなくなっています。自分が使っているのとは異なるモニターでプレーし、違うホイールやペダルを使用する必要があるのが一般的です。また、部屋の温度が違っていて、不快に感じることがあるかもしれません。それにその場であなたのプレーを見ている人たちがいたりもします。プロのeスポーツレーサーになった当初は、新しい環境になじめず、自宅で達成したタイムを再現することもできませんでした。でも経験を積むうちに、どんな状況にも瞬時に適応できるようになっていきました。キャリア終盤に向かううちに、それまでの経験を生かして、若い人たちにも勝つことができるようになりました。   eスポーツのレースでは、メンタル面はどのように準備されるのですか? この点に関しては、いくらでも話していられます。eスポーツでは、自分が運転するマシンのエキスパートになり、コースも完璧に把握している必要があります。例えて言えば、目隠しをしてもサーキットを走れるくらいにならなければなりません。と言うのも、eスポーツ レーシングでは、自分がレースエンジニアであるため、自分で戦略を準備することが求められるからです。もちろん体調も万全でなければなりません。私の場合、eスポーツ全体の中でも、耐久SIMレースほど疲れるものはありません。また、メンタル面での準備も必要です。国際的に成功を収めているeスポーツチームの多くがチームで専任の精神分析医を抱えていて、こうした強いプレッシャーのかかる状況に対処できるようサポートを受けています。レース前にヨガをして気持ちを落ち着かせたり、レース開始直前まで特定の音楽を聴いていたりする選手もいます。私もキャリア終盤にはそうしていました。大いに役に立ちましたよ。   時の経過とともに、eスポーツの世界は、どのように進化してきましたか? テクノロジーの進歩がeスポーツ体験にどのような変化をもたらしてきたのでしょうか? 初めてレーシングゲームをしたとき、「ワォ!グラフィックがめっちゃくちゃリアル!」と言って感動したのを覚えています。そして今、2021年には、ゲームのグラフィックはフォトリアリスティックなものにまでなっています。「ポルシェ タグ・ホイヤー eスポーツ スーパーカップ」のプレス用写真を見ても、それが実際のレースなのか、バーチャルシリーズなのか、見分けがつかないほどです。こうした改良はグラフィックだけにとどまりません。今は、コース上の全てのものをシミュレートする高度な技術があり、本物のレースにどんどん近づいています。また、リグやホイール、ペダルなどのハードウェアも改良され、これまでにない体験ができるようになりました。

eスポーツ レーシングの未来について、あなたは何を期待し、予想し、希望していますか? 新たに開発されたテクノロジーは、シミュレーションとリアルなレースを近づけますが、これは “祝福” すべきことにもなれば、“呪い” にもなります。私は、eスポーツ レーシングが、リアルなレースのための人材プールとしてではなく、独自のレーシングカテゴリー、独自のレース種目として捉えられるようになることを切に願っています。と同時に、eスポーツ レーシングのコミュニティ自体もまた、団結する必要があります。今はまだ、エコシステムがかなり細かくセグメントに分かれていて、個々のセグメントに独自のファンベースがあり、それぞれのオーディエンスがいます。こうした力が集まれば、今以上に成長し、他のより先を行くeスポーツ種目との差を縮めることができる可能性を私たちに与えてくれると思うのです。 私たちが取り組んでいるもう一つのことが「ダイバーシティ」です。「ポルシェ タグ・ホイヤー eスポーツ スーパーカップ」では、オールスターズシリーズ参加者18人のうち、3人が女性でした。いつの日か女性と男性の比率が半々になることを願っています。私たちは、そのための努力を惜しみません。今、eスポーツ レーシングで活躍している女性は、リアルのレースよりも多いと思います。自分たちが何か良いことをしていることになればいいなと思っています。   eスポーツ レーシングの世界に足を踏み入れたいと考えている人にアドバイスをお願いします。 最も重要なことは、シーンの一員であることやeスポーツレーサーであることを楽しむことです。と言うのも、楽しくなければ、最後のステージにはたどり着けないからです。最初はお金にならないだろうことは間違いないので、自分がすることを心から愛さなければなりません。様々なゲームに挑戦し、友人たちとプレーし、色々なレーシング コミュニティのメンバーになってみると、すべてが一体になって動き出します。表彰台に上がれるだけの実力があるかどうかも分かってきます。eスポーツ レーシング全般は、極めて難しいジャンルであり、「学ぶのは簡単だが、マスターするのは難しい」eスポーツ ゲームであることは間違いないと思います。だからこそ、忍耐力も重要な要素になります。   今日はお時間を頂き、素晴らしいお話をどうもありがとうございました。  こちらこそ、お呼びいただきありがとうございました!