スポーツ ハワイとビッグウェーブサーフィンの歴史

太平洋に浮かぶ小さな島々が、いかにしてビッグウェーブサーフィンとそのチャンピオンたちを生み出したのでしょうか

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このエクストリームスポーツの起源であるハワイに焦点を当てながら、ビッグウェーブをメジャーにしたサーファーやそのうねる大波そのものといった巨大な存在を振り返ります。

ハワイ語で「he’e nalu (ヘエ・ナル) 」と呼ばれるサーフィンについてのハワイでの最古の記録は、1779年までさかのぼります。探検家キャプテン・クック(ジェームズ・クック) の最後の世界一周航海に同行したジェームズ・キング中尉は、ケアラケクア湾で島民たちが木の板を使って波に乗っている様子を観察し、「彼らはこの運動がもたらす動きに大きな喜びを感じているように見える」と書いたのがそれです。この娯楽の進化をキング中尉も見ることができれば良かったのですが…

それから150年後に話を進めましょう。ビッグウェーブサーフィン発祥の地がハワイであり、20世紀半ば頃から始まったというのが、このスポーツの研究者たちのほぼ一致した意見です。それまでは、島の西海岸から離れなかったサーファーたちが、他のサーフスポットを探し始めるようになります。その結果、グレッグ・ノール、フィル・エドワーズといった本格的なサーファーたちが、よりビッグで、身の毛のよだつような波に挑戦し始めたのは、ハワイの島々の北向きのビーチでした。かつては15フィート(約4.5m) のブレイクが「ビッグ」とされていましたが、数十年もすると、サーファーたちは正真正銘のモンスターウェーブを探し出し、それに乗るようになったのです。

ハワイ生まれのカイ・レニーは、ビッグウェーブが血管の中を流れるY世代を代表するサーフィン界のレジェンド。彼は物心ついた頃からまるで自分の家の裏庭のような海でサーフィンに親しみ、「波に関しては地球上で最高の場所の一つ」と言うだけあって、ハワイで育ったことがいかに幸運なことであるかを十分に認識しています。カイが語るマウイ島のサーフビーチが持つ魔力については、The Edgeのこちらのエピソードをお聞き下さい。

しかし、カイのような若いサーファーのために道を切り拓いたのは誰だったのでしょうか? 誰がハワイの壮大な水の壁に挑み、それに乗り、岸にたどり着いたのでしょうか? ビッグウェーブサーフィンの歴史を辿りながら、そうしたスターたちをご紹介しましょう。

1950年代:ワイメア湾でのサーフシーズンの幕開け

サーファーにとって、オアフ島のノースショアにあるワイメア湾は、タブーと呪われた物語に彩られていました。1943年、サンセットビーチから3km離れた場所で、悪意を持って襲い掛かるうねりからパドルで戻ろうとしたディッキー・クロスが命を落としたのも、このワイメアでした。それでも、魅力いっぱいのサーフィン可能なビッグウェーブがサーファーたちを誘惑し続け、1957年、グレッグ・ノールがついにパドルアウトし、25フィート(約7.6メートル) の波に乗ったことで有名になりました。その瞬間から、ビッグウェーブサーフィンの水門が開かれたのです。

1960年代 - 70年代:ビッグウェーブサーフィンにプロ化の波

カリフォルニア生まれのサーファー、フィル・エドワーズをプロサーファー1号とみなすのが一般的です。彼はまた、ハワイのバンザイ・パイプラインで最初にサーフィンをした人物としても知られています。パイプラインまたはパイプの愛称で親しまれている、オアフ島のノースショアにあるこのリーフブレイクは、巨大な波と洞窟のようなリーフ(サンゴ礁) でサーファーを誘惑してきました。1961年、フィルが自らの身長をゆうに超える複数のパイプラインの波を捉えた姿が撮影されます。この映像は後に映画『Surfing Hollow Days』に収録され、パイプが一躍記念碑的サーフィンスポットとなったのです。

 

そしてビッグウェーブサーフィンを変えたのが、ハワイ生まれのエディ・アイカウでした。優秀なライフガードとサーファーの2つの顔を持つエディは、70年代を通して、サンセットビーチやワイメアの大波を乗りこなし、神話的なウォーターマンとしての地位を確立しました。1978年、彼はポリネシアの古代航海用カヌーを再現した「ホクレア号」でクルーと共に出航します。途中嵐に見舞われ、エディはライフガードの本能に忠実に、パドルアウトで助けを求めに行きます。その後、彼の姿を見た人は誰もいません。しかし、彼の面影は今日のビッグウェーブサーフ シーンにも大きな影響を及ぼし続けています。

1980年代 - 90年代:“モーメンタム世代”がサーフィンの表舞台に台頭

 

1987年にワイメア湾で開催されたエディ・アイカウ・インビテーショナルに登場したとき、ブロック・リトルはまだ貧相な10代の若者でした。彼は正式な出場者でさえなかったのですが、彼が見事にビッグウェーブを捉えるのを誰も止めることが出来なかったため、補欠として大会に彼を滑り込ませるよう審査員も納得せざるを得ませんでした。3位に入賞した彼は、以来、ビッグウェーブ・コミュニティに定着し、新進気鋭のサーファーたちと一緒にトレーニングをしたり、指導を受けたりするようになり、”モーメンタム世代”として知られるようになります。

 

そして迎えた1998年1月28日、水曜日。舞台はオアフ島のノースショア。太陽は輝き、波は40フィート(約12メートル) の高さがありました。ハレイワ港が閉鎖されていたため、ローンチスポットは、数マイル離れたファントムスに移動となりました。ブロック・リトルのように、交通渋滞に巻き込まれてモンスタータイドを逃してしまったサーファーもいましたが、ケン・ブラッドショーは適切なタイミングで適切な場所にいて、壮大なスケールの波に華麗に乗ったのです。その波が70フィート(約21メートル) だったのか80フィート(約24メートル) だったのか… 時間の経過と共にその記録も失われてしまいましたが、ケンがビッグウェーブのヒーローとなったことだけは確かです。

タグ・ホイヤー アクアレーサー プロフェッショナル300(WBP201B.BA0632) を着用したカイ・レニー

2009年 - 現在:カイの可能性は無限に

パドルインのパイオニアであり、カリフォルニア育ちのサーファーであるグレッグ・ロングは、2009年12月にワイメア湾で開催されたクイックシルバー・ビッグウェーブ・インターナショナルで優勝し、ビッグウェーブの王者に上り詰めました。彼は40フィート(約12メートル) の波に沿って楽々と進み、世界チャンピオンに10度輝いたケリー・スレーターを破ったのです。彼はまた、エディ・アイカウを偲ぶ2009年のクイックシルバーでも勝利を収めます。(ちなみにカイ・レニーがペアヒの超シリアスな波に初めて挑戦したのがこの大会です。) その後、グレッグは、アメリカ人サーファー、ジェイ・モリアリティの伝記映画『マーヴェリックス / 波に魅せられた男たち』のサーフスタントも担当しました。

2016年、カイ・レニーが、カイの裏庭としても知られるマウイ島で初めて開催された「スタンドアップ ワールドシリーズ」で総合優勝に輝きます。それから数年後の2019年、他にもいくつかのメジャー大会での優勝を経て、カイは史上最年少でサーファーの殿堂入りを果たしました。

風の強いマウイ島北海岸にあるペアヒは、映画にちなんで「ジョーズ」という愛称で呼ばれていますが、これはサメの危険があるためではなく、波そのものの予測不可能な危険があることによるものです。ここが、なぜビッグウェーブサーファーのお気に入りのスポットとなっているのかをあえてここで説明する必要もありませんよね。2020年 – 21年の冬は、ジョーズでビリー・ケンパーとカイ・レニーがそれぞれの才能をいかんなく発揮した壮大なサーフィンシーズンとなりました。その結果、ビリーはライド・オブ・ザ・イヤーを受賞し、カイはその名声を揺るぎないものにしました。

より臨場感のあるビッグウェーブアクションに浸りたい方は、このショートビデオでカイと一緒に一日を過ごすか、レッドブル・メディアが提供する5部構成のビデオシリーズをご覧下さい

タグ・ホイヤー アクアレーサー プロフェッショナル300(WBP201B.BA0632) を着用したカイ・レニー