スポーツ 唯一無二のスポーツカー

7分

ジェイソン・バーロウ BBCの人気自動車番組『トップ・ギア』やGQ誌の長年の寄稿者

ポルシェ カレラのエンブレムは、1963年に発表されたポルシェ911モデルと深く結びついており、今や世界最高のスポーツカーの証となっている

「ポルシェ911」のエフォートレスでドイツらしいクールな魅力に主役の座を奪われたと気付いた映画スターは、スティーブ・マックイーンだけではない。もちろんマックイーンは1971年公開の映画『栄光のル・マン』のクレジットが始まる前のシーンで、ポルシェと真剣に張り合っているし、彼のタートルネック、デザートブーツ、ペルソールのサングラスという出で立ちもよく真似された。
だが、マックイーンがサルト・サーキットで駆った「911 S」の人気はそれを凌駕していた。

1969年の映画『白銀のレーサー』で四駆の「911 T」と共演したロバート・レッドフォードの場合はどうだろうか。さらに、映画『アニー・ホール』では、主演のダイアン・キートンの弟を演じるクリストファー・ウォーケンが911を運転するシーンで、ウディ・アレンが書いた台詞の中でも最も笑える台詞の一つ「今すぐ行かなくちゃならないんだ、デュエイン。だって地球に戻る予定になっているからね」が登場する。ポルシェ 911は単なるスポーツカーではない。唯一無二のスポーツカーなのだ。映画製作者たちだけでなく、自動車業界のポルシェの同業者たちもこのことをよく理解している。私がこれまでに話したことのある自動車デザイナーは、ポルシェの競合となる自動車メーカーのために仕事をする人たちも含めて、例外なく、最も賞賛に値するプロダクトデザインとして911を挙げる。

ポルシェで働く誰もが提供しようとして努力している特徴の一つがブランドの一貫性であることもその理由として挙げられる。そしてもちろん911にも一貫性がある。指標になっているのだ。1963年に登場して以来、ポルシェは、このシグネチャーカーに関しては、変革を拒絶し、極めて慎重に管理しながらも時にこの上なく輝かしい進化を遂げさせることを好んできた。

元々、創業者の孫であるフェルディナンド・“ブッツィー”・ポルシェが考案したもので、エンジンはリアアクスルの上に乗せるべきだという父フェリーの特異な主張にこだわっている。911でのコーナーリングを経験したことがある人なら誰でも、その結果としてもたらされるセンセーショナルな感覚がどんなにユニークで中毒性があるものかが分かるはずだ。
だが、最大限のリスペクトが捧げられるべきはそのレイアウトにある。ドライバーをマシンの中心に置く911では、ステアリングホイールやスロットルペダルを介したレスポンスの明快さは常に明らかだ。

「カレラ」という名前はもちろん、ポルシェ用語の中でも特に重要な言葉で、1950年代初頭に開催されていた2178マイルの「カレラ・パナメリカーナ」ロードレースに由来する。戦後イタリアで人気を博したミッレミリアやタルガ・フローリオのメキシコ版だ。ポルシェのモータースポーツを率いたボスが、伝説のプロイセン貴族、フシュケ・フォン・ハンシュタインだ。彼は、優れたドライバーであっただけでなく、この大会のPR効果の可能性を見抜いた偉大なマーケターでもあった。ポルシェの初期の神話の多くは、世界で最も危険な自動車レースとして有名だったこのメキシコでの過酷な大会に出場した超軽量「550スパイダー」の成功によっている。カレラ・パナメリカーナ開催の最終年となった1954年、ポルシェは総合で3位と4位に入賞した。

CBN2A1F.BA0643

ポルシェの公式年表によると、カレラの名が最初に登場したのは、エルンスト・フールマン博士が設計した4気筒エンジン「タイプ547」(フールマン自身が“若気の至り” と称した巧妙で複雑なエンジン) だった。これ以降、ポルシェの最強モデルから派生するモデルの末尾に「カレラ」が付くようになる。最初の例が、1955年のフランクフルト・モーターショーでベールを脱いだ「356カレラ」であり、レースにヒントを得た技術的な改造が数多く施されていた。

現在「カレラ」の名から連想する自動車として不動の人気を誇る名車「911」は、1963年に登場し、より滑らかなボディに130馬力の空冷2.0リッター水平対向6気筒エンジン、フラットシックスを搭載していた。この車の誕生と進化は運命と言っても過言ではない。1966年の「911 S」はさらにパワーアップし、翌年の「タルガ」はルーフパネルを取り外し、カリフォルニアの良き時代の熱気溢れる精神そのままを吹き込んでいる。

911には、この記事のスペースで紹介できる以上の名車がある。ポルシェが1972年のモデルに「カレラ2.7 RS」と「カレラ」を入れたことでカレラの名が再び登場するようになる。レーシングノウハウが詰まったロードカーであり、ダックテールのリアスポイラーによって一目で見分けのつくデザインが特徴だ。現代の基準では、大型エンジンが生み出す208馬力も大したことのないように聞こえるが、その軽量構造(バージョンによっては薄いゲージのスティール製) により、カレラRSは、その後ポルシェが完璧なものへと磨き上げていくことになる驚くほどにインタラクティブなドライビングダイナミクスのテンプレートを確立した。わずか1,580バージョンしか製造されていないため、今では最も入手困難なモデルとなっている。

1974年にデザインを一新させて登場した911には、米国の議員らの要望により耐衝撃バンパーが加えられた。この1年後に登場したポルシェ初のスーパーカー「930ターボ」は、世界のスポーツカーレース選手権を席巻することになるワイルドでハイパフォーマンスなマシンの先駆けとなった。
“ホエールテール” (クジラの尻尾) と呼ばれる大型リアスポイラーを備えた「930ターボ」は、その写真が寝室の壁を飾るような1970年代における憧れの車を目指す、より派手なイタリアのライバルたちからの挑戦に直面した。興味深いことに、1978年に発表された全く新しいフロントエンジンの928型は、911に取って代わるモデルとなることを意図して開発されたが、実際にそうなることはなかった。そうすることはできなかったのだ。

 

911のその後数十年にわたる栄光の道のりは、巧みなマーケティングというよりも、ポルシェの卓越したエンジニアリングの厳格さを証明するものとなっている。1988年にはセンセーションを巻き起こしたスピードスターが誕生し、1993年初頭には初代を巧みに参考にしながらも大衆受けするデザインで生まれ変わった。

これは、有名な6気筒エンジンが空冷化された最後でもあった。サーキット指向のGT2とGT3のバージョンは、ポルシェがいかに最近のスリルを方法論的に設計しているかを示している。だが、“エントリーレベル” の2021年型911カレラでさえも、そのハードルはとてつもなく高く設定されている。正直に言うが、この世界最高のスポーツカーは今まさに最高のレベルに到達している。

 

ジェイソン・バーロウ BBCの人気自動車番組『トップ・ギア』やGQ誌の長年の寄稿者