ストーリー ジャック・ホイヤー:時を紡ぐレガシー

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ジャック・ホイヤーの人生とキャリアは、タグ・ホイヤーの代名詞ともなっている、イノベーション、耐久性、精度に対する鋭い洞察力に彩られています。

タグ・ホイヤーの元CEO、そして現名誉会長のジャック・ホイヤーが歩んできた道のりは、重要な節目となる出来事により、時計製造の世界に消えることのない足跡としてのレガシーを残してきました。

1932年:時計製造のレガシーの始まり

1932年11月18日、スイスのベルンで生まれたジャック・ホイヤーは、スイス時計製造のヘリテージと深く関わり合いながら育ちます。彼の曽祖父が1860年にホイヤー社を創業。ジャックが少年だった頃、この家業はすでに高い精度と優れた技術的ノウハウで名声を博していました。当初は家業を継ぐことを拒んでいたジャックでしたが、運命はやがてジャックが家業の未来を形作るよう彼を導いていきます。

1958年:家業を継ぐ

チューリッヒのスイス連邦工科大学で電気工学を学んだ後、ジャックは1958年に正式にホイヤーに入社します。製造とコスト管理に関する斬新な知識を身につけたジャックは、家業に近代的な手法を取り入れ始めました。彼が家業に加わったことは、時代の変化に順応して、ホイヤーをイノベーションを志向するブランドへと転換させることを意味していました。ジャックが、後に彼のリーダーシップスタイルを特徴づけることになる、伝統と先進的な戦略を組み合わせるというセンスを身につけたのが、この初期の時代でした。

1962年:「オータヴィア」でスポーツクロノグラフのパイオニアに

ジャックが、ホイヤーのリーダーとして最初に手がけた主要プロジェクトが、元々、自動車や飛行機のダッシュボードタイマーとして開発された「オータヴィア」を腕時計として再設計することでした。モータースポーツ向け腕時計のポテンシャルの高さに注目したジャックは、レーシングクロノグラフとしてオータヴィアを発表。プロのレーシングドライバーたちに愛される人気モデルとなります。これが、ホイヤーとモータースポーツとの密接な関係の始まりとなり、ジャックはそのキャリアを通じてこの関係を育んでいくことになります。

  • ジャック・ホイヤーとマイクロスプリット

1963年:アイコンとなる「カレラ」を発表

メキシコで開催されていた伝説のレース「カレラ・パナメリカーナ」に着想を得て、ジャックは1963年にカレラ クロノグラフを発表します。ミニマルで視認性の高いダイヤルを備えた、すっきりとしたラインのカレラには、エレガンスと機能性の両方を体現する時計を創りたいというジャックの想いが反映されていました。その明瞭さと性能が賞賛され、カレラは瞬く間にホイヤーのアイコンとなります。ホイヤー カレラは、スポーツクロノグラフの基準を打ち立て、ジャックのウォッチデザインにおける先駆者としての名声を確固たるものにしました。

1963年に発表されたホイヤー カレラ(Ref. 2447)

1969年:「モナコ」で時計の常識を打ち破る

この年、思い切った行動に出たジャックは、世界初のスクエア型防水クロノグラフ「モナコ」を発表します。ブライトリングとハミルトン/ビューレンとのパートナーシップにより開発された初の自動巻クロノグラフムーブメント「キャリバー11」を搭載したモナコは、大胆なデザインと画期的なメカニズムにより、従来の時計製造の概念を覆すものでした。1971年の映画『栄光のル・マン』で名優スティーブ・マックイーンが着用したことによってモナコは、ハリウッドの華やかさと高速のスリルとを連想させるタイムピースとして、さらにその名声を高めていきます。

1969年に発表されたオリジナルのホイヤー モナコ(Ref. 1133B)。

1971年:モータースポーツのスポンサーとなり、フェラーリとパートナーシップを結ぶ

モータースポーツに対するジャックの情熱は、時計だけに留まるものではありませんでした。1971年、彼はフェラーリと画期的なスポンサー契約を結び、ホイヤーをフェラーリのF1チームのオフィシャルタイムキーパーとします。この果敢な決断により、ホイヤーはF1界と強く結びつくことになり、その威信と知名度は世界規模で高まります。フェラーリのマシンやドライバーのレーシングスーツを飾るホイヤーのロゴは、たちまちのうちに認知され、モーターレーシング史におけるホイヤーの地位を確固たるものにしました。

1978年のル・マンでのジャック・ホイヤー。

1982年:クォーツ危機と一時代の終焉

1970年代、スイスの時計産業は、クォーツ テクノロジーの台頭という難題に直面します。これによってホイヤー社が受けた打撃は深刻なもので、1982年、ジャックは、ピアジェの親会社であるレマニアへの自社の売却を余儀なくされます。この自社売却が、彼の人生とキャリアにおけるどん底となり、この転換に深く影響を受けたジャックは、会社を去りました。彼の退任は、ブランドの歴史における大きな転換期となりましたが、ブランドアイデンティティに対する彼の影響力は永遠に続いていきます。

  • エンツォ・フェラーリ (右) に時計を贈るジャック・ホイヤー

2001年:名誉会長として復帰

退任から20年近くの時を経て、ジャック・ホイヤーは、2001年、名誉会長としてタグ・ホイヤーに再び迎えられます。彼の復帰は、高級時計ブランドの雄としてのタグ・ホイヤーの復活と時を同じくしていました。歴史の中で磨かれてきたジャックの鋭い洞察力は、ブランドのヘリテージを尊重しながらも未来を積極的に受け入れていくというタグ・ホイヤーの戦略的ビジョンを導くのに貢献しました。ジャックの影響力は、カレラのようなクラシックモデルの復刻に顕著に表れ、このアイコンウォッチは、新しい世代の時計愛好家たちをも魅了し続けています。

ラ・ショー・ド・フォンにあるタグ・ホイヤー ミュージアムでのジャック・ホイヤー(2017年)

2012年:80歳を祝う特別なトリビュートウォッチが登場

この年、ジャック・ホイヤーの80回目の誕生日を祝い、タグ・ホイヤー カレラ クロノグラフ ジャック・ホイヤー バースデーリミテッドエディションが発表されました。オリジナルのカレラを彷彿とさせるデザインに現代的なメカニズムを融合させたこのタイムピースは、ジャックのレガシーに捧げるオマージュであり、ジャックがこれまで果たしてきた貢献だけでなく、タグ・ホイヤーの美意識や価値観に対して彼が今後も変わらず与え続けてくれるであろう影響力をも象徴したトリビュートウォッチとなっています。

2023年:精度と情熱が築いたレガシー

ジャック・ホイヤーは今も変わることなく、時計業界で敬愛される人物であり続けています。2013年に出版された彼の自伝『The Times of My Life』でジャックは、数々の先駆的な時計の技術革新を発表してきた絶頂期から時計業界が直面した危機による挫折感まで、彼の歩んできた道のりを率直に振り返っています。 その人生、キャリアを通して、精度、エレガンス、イノベーションへのジャックのコミットメントが揺るぐことはありませんでした。