ライフスタイル インスピレーションの人、ジャック・ホイヤー

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60年以上もの間、この生けるレジェンドは、タグ・ホイヤーの進むべき道を照らし出すインスピレーションの光となり続けています。ところで、そんなジャック・ホイヤーにインスピレーションを与えたのは誰なのでしょうか。

タグ・ホイヤーの前CEOで現名誉会長のジャック・ホイヤーは、まさに生けるレジェンドです。その功績は、時が経っても色褪せることなく、これからも語り継がれていくことでしょう。彼の曽祖父がラグジュアリーウォッチのマニュファクチュールを設立してから1世紀、ホイヤーの最先端イノベーションの数々は、ブランドに世界的な知名度を与えただけでなく、20世紀中期のスタイル革命の中心にブランドを位置づけました。タグ・ホイヤーが常に業界の先頭を走り続けていられるのも、ジャック・ホイヤーが絶えず新しいものを追い求めていたからです。

ジャック・ホイヤーの自伝『The Times of My Life』の序文で、タグ・ホイヤーの前社長兼CEOのジャン=クリストフ・ババンは、ホイヤーを「その先見性と開拓者精神により、ブランドが技術的にもデザイン的にも傑作を生み出すことを可能にする不朽のインスピレーションをもたらす存在」と称えています。しかし、創造性は真空中で発生するものではなく、ジャック・ホイヤーの最もアイコニックなモデルは、画期的な同時代の人々の技術的・デザイン的価値に対する彼の深い賞賛を明確に表現したものだったのです。彼の磨き抜かれたスタイルに対するセンスは、家具や建築、工業デザインにまで及びました。こうした各界の巨匠たちに触発され、ホイヤーの主義主張が形成されていきます。

シャルル・エドワード・ホイヤーとジャック・ホイヤー(1963年、スイス)

ル・コルビュジエ

ジャック・ホイヤーのキャリアに最も大きな影響を与えたと思われるのがル・コルビュジエです。チャールズ・イームズと並んで、ル・コルビュジエの家具に早くから心酔していたことをホイヤーはしばしば口にしているだけでなく、後にル・コルビュジエの建築もホイヤーの展望に大きなインスピレーションを与えることとなったからです。クリエイティブな面での二人のつながりはまさに運命的と呼ぶにふさわしいものです。タグ・ホイヤーの心の故郷であり、本社があるスイスの小さな村、ラ・ショードフォンで生まれ育ったル・コルビュジエをニューヨーク・タイムズ紙は「時の栄光のために運命づけられていた」と評しています。ル・コルビュジエの父親はこの地でダイヤル製造に従事する一方、建築家に憧れたル・コルビュジエは時計のエングレービングを学びます。彼の優れた才能はすぐに明らかになり、ある教師が、彼がマルチなキャリアを築いていくきっかけを作ります。

ホイヤーが、ダイヤルをすっきりとしたものにするため、クロノグラフの一般的な部品を取り除きたいと望んだように、ル・コルビュジエも、凝り過ぎた装飾や余計なディテールよりもエレガントなミニマリズムを好みました。ル・コルビュジエが機能性にこだわったことは、ジャック・ホイヤーが「カレラ」の主要機能を決定した根本的な理由にも表れています。「この時計がレーシング クロノグラフになることが分かっていたので、ダイヤルはすっきりとしていて、高速走行中でも一目で読み取れるものでなければなりませんでした。そこで私は工業デザインの知識を生かし、改良を加えていったのです」 ホイヤーは、ル・コルビュジエ作品の機能性を取り入れ、さらに個性を加えて、独創的で、一目でそれと分かるデザイン性を確保したのです。その結果、「カレラ」の洗練されたミニマリズムは、ル・コルビュジエのデザインのように、時代を超越したものとなります。

ル・コルビュジエの実験住宅(ヴァイセンホーフ・シードルング、シュトゥットガルト、ドイツ)

ル・コルビュジエ・センター(ハイディ・ウェバー・ミュージアム) 、チューリッヒ、スイス

チャールズ・イームズ

ホイヤーが学生時代に最も早く影響を受けた人物の一人が、デザイナーのチャールズ・イームズでした。イームズと彼の妻レイは、20世紀を代表する最も重要なアメリカのデザイナーに数えられます。この夫婦は、建築、家具、写真などの分野で画期的な功績を残しました。『The Times of My Life』の中でホイヤーは次のように書いています。「学生時代、モダンデザインをこよなく愛するようになっていた私は、金を貯めてどうにかチャールズ・イームズのラウンジチェアを手に入れたのだが、チューリッヒの粗末な学生寮に置くと、どうにも場違いな感じは否めなかった」

ホイヤーは、初代カレラの「クリーンなダイヤル」のインスピレーションとして、具体的にイームズの作品を挙げています。1963年春のバーゼルフェアで発表された「カレラ」は、時を超えたクロノグラフであり、その伝統はタグ・ホイヤーの中に脈々と受け継がれています。ジャック・ホイヤーは、それまでのクロノグラフのダイヤルがあまりにもごちゃごちゃし過ぎていると考えていました。「多くのクロノグラフが、渦巻き状に目盛りが付いた砲兵部隊が使用していたテレメーターを搭載していたため、ダイヤルを読み取るのも容易ではありませんでした。だから私はダイヤルはすっきりとしたシンプルなデザインにしたかったのです。私が手がけた最初の『カレラ』がシンプルですっきりとした外観となった理由はそうしたところにありました」 チャールズ・イームズの作品が持つなめらかでシンプルなデザインに影響を受けて、「カレラ」は際立って歯切れの良い外観を持ち、不滅の地位を築くことになります。ホイヤーは後にこう語っています。「カレラは、そのクリーンで極めて読み取りやすいデザインによって、モダンでエレガントな雰囲気を醸し出しています。このタイムレスなスタイルと、大胆で何にでも果敢に挑戦していく精神が、カレラが長く愛され続けているカギとなっています」

イームズハウスのインテリア

イームズがデザインしたプラスチックチェア。

エーロ・サーリネン

ホイヤーは、家具デザイナーだけでなく、その作品にやはり美しさと機能性を兼ね備えた近代建築の巨匠たちからも影響をを受けました。初代カレラ誕生50周年を迎えた年、ホイヤーは建築に情熱を傾けることになったきっかけをこう振り返っています。「学生時代は建築科に友達がたくさんいました。彼らは皆、モダンデザインのファンで、その熱意が私に伝わってきて、私も夢中になりました」 こうしたモダンデザイナーの一人が、チャールズ・イームズと親交があり、一緒に仕事もしていたフィンランド系アメリカ人のエーロ・サーリネンでした。彼は第二世代のモダニストで、技術的、デザイン的な限界を絶えず押し広げていましたが、それこそまさに若きジャック・ホイヤーが目指したことでもありました。ジャック・ホイヤーの初期のデザインには、サーリネンの視覚的な感性と彼の建築物が特徴とするセンシュアルな曲線が反映され、やがてホイヤーはヘルシンキにあるサーリネンの建物を訪れるようになるまで惚れ込みます。

オスカー・ニーマイヤー

ジャック・ホイヤーは、近代建築のもう一人の重要人物であるブラジル人建築家、オスカー・ニーマイヤーの作品への賞賛も繰り返し述べています。ニーマイヤーは1930年代にブラジルで仕事を始め、ジャック・ホイヤーが学生だった頃には、すでに彼の過激で野心的なデザインの中の自由に流れる曲線で有名になっており、これがホイヤー自身の初期の野心作に多大な影響を及ぼしました。複雑で派手好きでもあったニーマイヤーという人物が手がける作品は、平等主義的なユートピアのビジョンを映し出しながらも、個性と華やかさの魅力を放ち続けています。90歳を過ぎても現役として活躍し、ホイヤーはブラジルに出張した際によく彼を訪ねていました。ホイヤーもニーマイヤーも幾何学的な純粋さと機能的なエレガンスを互いに愛しただけでなく、スイスで生まれフランスで活躍した伝説の建築家、ル・コルビュジエからも多大な影響を受けていました。

ニーマイヤーが設計したカーサ・ド・バイリの曲線美が特徴の建物

オスカー・ニーマイヤー国際文化センター(アストゥリアス、スペイン)

複雑なシナジー

ジャック・ホイヤーのモデルが、ラグジュアリーデザインの世界において長年にわたり卓越性の試金石しての地位を維持している秘訣として、彼が影響を受けたものが多様性に富んでいることと、機能性は人からインスパイアされるだけでなく、人をインスパイアするものでもなければならない、という考え方のもと、全てのディテールを支える価値観を深く考えているということが挙げられます。彼自身が言うように、「時計は歯医者の予約時間に遅れないようにするためだけのものではなく、芸術、夢、感情、欲望、地位、美といったものによる複雑なシナジー」なのです。

ジャック・ホイヤーの美学は、この複雑なシナジーとの絶え間ない会話です。自らの感性に磨きをかけながらデザインの世界に没頭することで、ホイヤーは、ル・コルビュジエの機能性、サーリネンのシンプルさ、イームズのエレガンス、ニーマイヤーの野心など、さまざまな影響を取り入れる方法を学び、時代の中で際立った存在となるとともにその時代を語る新しいまとまりのあるフォルムを形作っていったのです。彼の作品から生まれた紛れもないデザイン表現は、数えきれないほどのタイムピースをこの世に送り出しただけでなく、これから何十年にも渡って守り続けられていくであろう時計製造の絶対的な基準をも打ち立てています。