ライフスタイル 未解決の時間の謎:量子力学ケースブック

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物理学の「大きな疑問」のひとつであり、いまだに世界中の賢人たちを悩ませている「謎」を、分かりやすくご紹介します。そこで今回は、「エントロピー」の混沌とした不思議を解き明かしていきましょう。

「量子力学ケースブック」の第1部では、第2部のAPレベルでのミステリアスな時間の「流れ」に備えて、まずエントロピーの概念を見ていくことにします。 そこで、席に座り、コーヒーを用意して(真面目な話、このコーヒーが今回のレッスンでの重要なポイントになります) 、今まで「時間」に関してあなたが知っていると思っていた全てのことを根底から見直す準備をして下さい。

« 学べば学ぶほど、いかに自分が無知であるかがよく分かる。 »

アルバート・アインシュタイン

世界で最も偉大な科学者たちには「謙虚さ」という意外な共通点があります。 だからこそ、量子力学の領域を私たち人間が掘り下げれば下げるほど、謎やパラドックスに直面しているように見えるのも当然のことなのかもしれません。 量子物理学の最前線には、勇敢な研究者たちを悩ませている(あるいは、その時のムード次第では喜ばせている) 未解決の問題がいくつもあります。

そんな頭を悩ませる難問の一つが、「時間の矢」と呼ばれるものです。この概念は、時間の一方向性や非対称性を表しています(研究室の白衣を着ている研究者なら「仮定」していると言うでしょうが) 。要するに、時間は過去から現在を経由して未来に向かうということを言っているのです。そんなことは当たり前だとお思いですか? でも、物質の基本的な構成要素である「クォーク」であれば、おそらくそうは思わないでしょう。 でも、その点については後ほどお話します。

1927年にイギリスの宇宙物理学者、アーサー・エディントンが提唱した「時間の矢」の概念は、量子論者にとっての未解決の謎であるだけでなく、一般的な物理学においても広く研究されている問題であり、哲学者や詩人の夢(あるいは目覚めた時に見る悪夢) にさえなっています。

因みに、その突飛な主張で広く笑い者にされ、冷遇されていたエディントンによると、時間の方向は、原子、分子、物体の相対的な「組織化」を研究することで決定できるのだそうです。

微視的(極小) レベルの物理プロセスは、完全に、あるいはほとんどが時間対称であると信じられています。時間の方向が逆になったとしても、それを説明する理論的な主張は真実のままであり続けます。 言い換えれば、現在から過去に時間を遡っても、「回文」のように、等しく「正しい」振る舞いをします。(回文とは、前から読んでも、後から読んでも同じように読めるもののことで、英語では「deified (神格化された) 」「racecar(レースカー) 」「madam(マダム) 」といった単語から「a man, a plan, a canal, Panama(男、計画、運河、パナマ) 」というフレーズなどが例としてよく引き合いに出されます。)

にもかかわらず、巨視的(大きな) レベルでは、そうではない、つまり時間が明らかに一つの方向に流れることがしばしば明らかになっています。 するとここで、それではなぜ時間が「より大きな」物体やプロセスの場合に方向性を持つのか、という疑問が出てきます。この理論は「エントロピー」として観察できる特性の存在に基づいています。

エントロピーとは、時間を「進める」ための現象であり、大まかに言えば、宇宙の「無秩序」の度合いは増すばかりで、エントロピーの上昇が起こった後に元に戻す方法はないということになります。優れた時計メーカーであれば誰もが言うように、何分、何日、何年と時間が経つうちに、物事はより複雑になるだけで、複雑になっていくのを目撃することで、私たちは文字通り時間が過ぎたことを認識します。

10代の若者の部屋も、世界の政治も、ネットバンクの口座へのアクセス方法も、時間が経てば経つほど混沌とし、混乱し、無秩序になっていく、というのは、当たり前の図式のように見えるかもしれませんが、正確に言えば、ここで言っているのは、そういうことではないのです。 理論的に間違いというわけではありませんが、その解釈は哲学者や社会史家に任せることにしましょう。

コーヒーに入れたクリームは、コーヒーの中で広がった後、実質的に2つの物質の区別がつかなくなるまで、コーヒーと混ざり合うのを観察することで、エントロピーの本質に少し近づくことができます。(そこで、ここからは実験の時間です。この記事をぜひ読み続けて頂きながら、実際にここで説明されることを試して、科学が正しいことを証明してみて下さい。コーヒーの状態を確認します。 そこにクリームを入れます。ご愛用のタグ・ホイヤーの時計で時間経過を確認します。クリームが混ざったコーヒーをもう一度調べ、それぞれの物質の分子を分離できるかどうかを確認して下さい。それはできないはずです。)

一方、エントロピーをテーマにした大衆向けの記事では、舗装道路に打ち付けられた卵は飛び散って粉々になってしまい、元の秩序ある形に戻すことは本質的に不可能である、という言い方が好まれます。(例え仮定に基づく話だとしても) 卵を無駄にする必要はないので、こちらは想像していただければいいのですが、3つの卵をたっぷりのバターでスクランブルエッグに調理すると、元々の「秩序ある」卵の形が失なわれ、混ざり合い、揺すられ、分散して、より「ランダム」な(おいしい) 状態になったことは容易にお分かりいただけるでしょう。

必要に応じてコーヒーブレイクを入れ、前のセクションのこのシンプルなまとめをじっくり考えてみて下さい。

« 無秩序またはエントロピーの増大は、過去と未来を区別し、時間に方向性を与える。 »

スティーヴン・ホーキング『ホーキング、宇宙を語る:ビッグバンからブラックホールまで』

要するに、物理学者にもう少し詳しく説明して欲しいと聞いてみたなら、おそらく呆れた顔をして、原子レベルではエントロピーは単に朝食用に卵料理を作るよりもうちょっと複雑だよと辛抱強く説明してくれることでしょう。 これは単に秩序のことだけではありません。残念ながら、ここには数学的な知識が必要になってきます。

具体的には、このパズルにはもう一つの重要なピースがあり、それがエントロピーの増大が、論理的なことでもあるという事実です。エントロピーは、粒子の「量子状態」を測定します。これが意味することをできるだけ曲解せずに言えば、粒子の「混ざり合った」配置の可能性の方が「別々になった」配置よりも多いため、物(原子、分子、物体) が必然的に変化するにつれて、混ざり合った混乱状態に陥りやすいという結論になります。

さて、ここからは「高校の理科を思い出して」のコーナーです。遠い記憶を辿って「熱力学第二法則」を思い出すことができますか? きっと思い出して頂けるはずですが、念のため、おさらいしてみましょう。

この宇宙の中で最も不可侵の法則の一つである「熱力学第二法則」は、孤立した物理系ではエントロピーは増加するばかりで減少することはないというものです。 これは、私たちの宇宙の中の閉鎖系(例えば、蓋付きのコーヒーカップ) だけでなく、宇宙全体にも当てはまります。

苛立った物理の先生が小さな塊や矢印の不可解な図に何度も何度も手を振った最初のときと同じくらいにしか、今回の復習も理解できなかったとしても、問題ありません。なぜなら、ここに物理学入門編ではおそらく触れられなかったエントロピーに関するちょっとした秘密があるからで、しかも、あなたはすでにそれを理解しているからです。

エントロピーは、漠然とした抽象的な概念であるにもかかわらず、生きている人間のほとんどが直感的に把握できる考え方です。 1920年代まで遡っても、エディントン自身、この現象が「意識によって鮮明に認識され」、「推論能力によっても同様に主張される」と言って譲りませんでした。 言い換えれば、当たり前のことを言っているだけじゃないか、ということです。

温度が上がったり下がったりするのと同じように、人間は物理的な物質の振る舞いから、時間的に「進む」ものと「戻る」ものを見分けることができます。 薪を燃やしている火が近くの氷の塊を溶かしている(昔のVHS) ビデオを逆に再生すると、煙の雲が薪の山に変わりながら、水たまりが凍っていく映像が見られます。

奇妙なことに、どちらの方向で再生しようと、テープの内容は物理法則の大半を守っています。 ただしはっきりとした例外が一つあります。それが高校時代からの友人である「熱力学第二法則」です。つまりおかしなことに、私たちは、エントロピーを本質的に理解しているからこそ、ビデオの再生が順方向なのか逆方向なのかを判断することができるのです。既にお分かりのように、時間が進めばエントロピーは増大しなければなりません。あなたはなんて頭がいいんでしょう。

さて、これで量子物理学の分野でのあなたの持って生まれながらの優れた才能がはっきりと証明されたので、予定より早く進んでいるうちに今日はここでやめにしておくことにします。次回の第2部では、「時間の矢」という難問に高IQ(知能指数) 団体「メンサ」に入れるほどのあなたの頭脳をぜひ働かせてみて頂きたいと思います。 あなたにはその頭脳があるのですから。それでは、「タグ・ホイヤー フォーミュラ1 クロノグラフ」を腕に、マイクロ秒ごとに複雑になっていく状況に備えることにしましょう。