ライフスタイル スピードリーディング:史上最速で書かれた小説たち

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誰もが心の中で小説の構想を練っていると言われますが、もしあなたに2週間の休暇があったら、果たしてあなたは自分の小説を完成させることができるでしょうか? そこで今回は、わずか6週間以内で書き上げられた有名な本の数々を駆け足で巡るツアーにあなたをお連れします。

どんな作家に尋ねても同じ答えが返ってきます。「真っ白な紙(今の時代、画面と言った方が正確ですね) を前にすると、人間の心にはおかしなことが起こるんだ。 何も見えなくなって、パニックに陥ることさえある。 急にたんすの引き出しの中を整理したくなったり、気が付いたら18杯目のコーヒーを淹れていたりすることも珍しいことじゃない」と言うのです。急ぐ気もない飲んだくれの怠け者に任せた仕事のように、執筆は遅々として進まず、カーソルは皮肉っぽく点滅を繰り返し、気持ちは奈落の底へと引き込まれていきます。すんなりと書き始め、言葉が次々に出てくる、などということは極めて稀で、正直言って、そんなことができるのは、激しい怒りにでも駆られていない限り無理だと言うのです。それを成し遂げた変人とも言える作家にとって、時間は蒸発してしまうものなのです。うらやましいように時が流れて行く状態の中では、何分、何時間といった通常のルールや規則は問題ではありません。そこで今回は、天才(あるいは一種の狂気) のひらめきともいうべきワープスピードで書かれ、長年に渡って愛され続けてきた12冊の名作をご紹介します。 いよいよあなたが大作を書き上げる時到来かもしれませんね。

『時計じかけのオレンジ』アンソニー・バージェス著

『時計じかけのオレンジ』(A Clockwork Orange)

イギリスの作家アンソニー・バージェスは、33の小説を書いていますが、今でも知られているのが、そのうちの1作、1962年に発表されたダークなディストピア小説『時計じかけのオレンジ』です。バージェスは、お金だけが目的で、わずか3週間でこの小説を書き上げたと語っていました。この作品の影響力は甚大で、スタンリー・キューブリックによって映画化もされています。(ただし、バージェス自身はこの作品を非常に嫌い、『時計じかけのマーマレード』と呼んでいました。)

『縞模様のパジャマの少年』(The Boy In The Striped Pyjamas)

アイルランドの小説家ジョン・ボインは、ホロコーストを生き抜いた少年のこの感動のストーリーに自ら夢中になり、食事も睡眠もほとんど取らず、2日半で全編を書き上げたと述べています。他の小説は何ヶ月もかけて構想を練り、苦労して書いたが、この小説だけはすんなりとペンから言葉が出てきて、そのスピードを遅らせることさえできなかったと当時を振り返っています。

『緋色の研究』(A Study In Scarlet)

シャーロック・ホームズの名探偵ぶりを世に知らしめたこの小説は、1886年にアーサー・コナン・ドイルが3週間で書き上げたものです。この小説はまた、シャーロック・ホームズの活躍が初めて映画化された作品としても有名です。

『路上』/『オン・ザ・ロード』ジャック・ケルアック

『路上』/『オン・ザ・ロード』(On The Road)

あらゆる世代に影響を与え「ビートニクのバイブル」と呼ばれたこの作品も、わずか3週間で書き上げられています。ジャック・ケルアックは7年をかけてアメリカを放浪し、その間ずっと詳細なメモを取っていましたが、それをまとめた作品は、1ヶ月もかからずに紙にタイプされていきました。紙といっても、全長36メートルを超えるロール紙状のものです。必ずしも謙虚さで知られていたわけではないケルアックのほとんど句読点のない、時として理路整然としていることもある「現代散文のための心構えとテクニック」と題されたリストの中には、「君はいつだって天才だ」という項目があります。メモしておきましょう。

『The Tortoise and the Hare』

皮肉なことですが、1954年、エリザベス・ジェンキンスは、妻と別れようとしない男性との恋愛関係を清算した後、3週間でこの小説を書き上げます。2005年のインタビューで、彼女は「それ以来、一度もこの作品を読み返したことはありません。私にとって2度と戻りたくない時期ですから」と告白しています。

『The Prime of Miss Jean Brodie』

ミュリエル・スパークは、自分の先生であるクリスティアナ・ケイを架空の人物として、わずか1ヶ月でこの小説を書き上げました。彼女は、この話は、1960年の授業で出された宿題がヒントになったと語っています。「自分たちが夏休みをどのように過ごしたかを書くように言われたのですが、私は代わりに [先生の] 夏休みの過ごし方について書いたのです。その方が面白いと思ったので」。

『賭博者』フョードル・ドストエフスキー

『賭博者』(The Gambler)

ロシアの文豪、フョードル・ドストエフスキーが『罪と罰』の執筆と並行して26日間で書き上げた小説です。この時ドストエフスキーは多額の借金を抱え、ギャンブルに明け暮れていました。半自伝的なこの小説は、彼の借金返済の助けになるものでした。ドストエフスキーは、彼が口述したこの小説を文字に起こした若い速記者と後に結婚します。

『死の床に横たわりて』ウィリアム・フォークナー

『死の床に横たわりて』(As I Lay Dying)

ウィリアム・フォークナーは、発電所の夜勤をしながら、6週間で5作目の小説『死の床に横たわりて』を書き上げます。フォークナーは、毎晩、真夜中に書き始め、朝の4時まで執筆を続けました。その間、言葉がきれいにまとまっていったと言います。全59章をそれぞれ異なる15人の登場人物が語るという壮大な内容にもかかわらず、初稿から一文字も変えなかったというほど、フォークナーは、作家としての自分の技量に自信を持っていました。

『ソロモン王の洞窟』(King Solomon’s Mines)

ライダー・ハガードは、兄にロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』のような面白い小説が書けるかどうか賭けようと言われたのをきっかけに、わずか6週間で『ソロモン王の洞窟』を書き上げました。ハガードがこの賭けに勝ったのは間違いなく、この作品は発表されると瞬く間にベストセラーとなり、多くの作家が「ロストワールドもの」という新しいジャンルの本を書くきっかけとなりました。驚くべきスピードで書き上げられたにもかかわらず、『ソロモン王の洞窟』には真に迫ったリアリティがあります。ハガードは長年アフリカに住み、頻繁に旅行をしていたので、小説の題材には事欠きませんでした。

『ジキル博士とハイド氏』(The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde)

スティーヴンソンは、以前から二重人格をテーマにした小説を書くアイデアを温めていましたが、なかなかそれにふさわしい筋書きを見つけられずにいました。一説によると、結核が重症化し、薬漬けで錯乱状態に陥っていた彼が、うとうとしていたときに、『ジキル博士とハイド氏』のストーリーが思い浮かんだと伝えられます。目が覚めると同時に机に向かい、スティーヴンソンは、3日間、熱にうなされるように第1稿を書き上げました。しかし、完成した原稿を読んだ妻のファニーは、それを単なる走り書きだと思い、火中に投じてしまったため、哀れなスティーヴンソンはさらに3日間で熱にうなされるように原稿を再度書き上げなければなりませんでした。幸い、2度目の原稿は燃やされずに済み、大成功を収めて、スティーヴンソンはようやく借金を返せるようになったのです。

『日の名残り』カズオ・イシグロ

『日の名残り』(The Remains Of The Day)

カズオ・イシグロは、英国の執事を描いた感動作『日の名残り』をわずか4週間で書き上げました。この小説は1989年にブッカー賞を受賞し、映画化されアカデミー賞8部門にノミネートされるなど、戦後の小説の中でも最も評価の高い作品のひとつとなっています。彼は、妻のローナの協力を得て、4週間の間、予定を容赦なくキャンセルし、月曜から土曜の午前9時から午後10時半まで、書くこと以外に何もしない “クラッシュ” に入るという計画を立てました。 名作『日の名残り』はこうして書かれたのです。4週間後、イシグロはほぼ小説を書き終えました。ブラッシュアップするため多少時間が必要だったものの、ストーリーは全てこの “クラッシュ” 中に生まれたものです。

『クリスマス・キャロル』(A Christmas Carol)

チャールズ・ディケンズは、厳しい締め切りに追われる多作の作家で、彼の作品はビクトリア朝時代の雑誌に毎週連載されていました。しかし、彼は『クリスマス・キャロル』を約6週間で仕上げ、さらにその腕を上げます。ディケンズは10月から執筆を開始し、集中的に作業を行い、夜になると時折ロンドンの街を散策することで気分転換し、11月末に完成させました。この本はすぐにお祭り騒ぎになるほどの成功を収め、以来、数多くの舞台劇、映画、ミュージカルにもなっています。

本を読む時間ができたら

こうした短期間で書かれた名作のことを知って、あなたもペンを持ち(実際にはキーボードを打ち) たくなったのではないでしょうか。それとも、ものすごく怖くなってしまいましたか。作者であろうと、読者であろうと、小説に取り掛かる準備ができたら、手元には、書いたり、読んだりするスピードをいつでも完璧に維持してくれるタグ・ホイヤー ウォッチを。こんなに頼りになる相棒は他に見つかりません。