サヴォワールフェール モナコ、世界で最も華やかなレース
モナコグランプリの歴史
5分
1932年のモナコGPでのパッシング
世界で2番目に小さい国であるモナコには、F1で最も有名な、そして間違いなく最も難易度の高いサーキットがあります。ドライバーのネルソン・ピケが「自転車でリビングルームを一周するようなもの」 と例えたように、恐ろしく複雑で狭く曲がりくねったルートを走るモナコGPは、F1の最短コースでありながらラップタイムが最長になる、ミスの許されない危険なコースです。「モータースポーツのトリプルクラウン」 と称される世界三大レース(以下で詳しく説明します) のひとつに名を連ねるこの珠玉のレースは、「華やかで威厳のある他に類を見ない大会」 (他ならぬモナコ大公レーニエ3世自身の言葉) であるだけでなく、世界最高レベルのドライバーたちでさえも並外れたパフォーマンスが求められる、F1シーズンの中でも別格のレースでもあります。今回は、「タグ・ホイヤー モナコ チタン キャリバー11 スペシャルエディション」 の発表を記念して、「モナコGP」 というまばゆいばかりのスペクタクルを称え、このカミソリの刃の上を走るようなレースの歴史を簡単にご紹介しましょう。
公国にふさわしいレース
コートダジュールの海辺に位置する小国モナコは、人口密度が高いことでも知られています。「ロシェ・ド・モナコ」 と呼ばれる古代からの岩山の上には何世紀にもわたりこの地を治めてきたグリマリディ家の城が建っています。モナコが、華やかで高級感あふれる場所であるという評判をどこよりも雄弁に物語るのが、有名なモンテカルロ地区です。ここは、スーパーヨットやスーパーカーが移動手段として使われ、誰もが知るカジノには厳しいドレスコードがあり、シャンパンが国民的な飲み物となっている地域です。ところで、この風光明媚な場所が、どのようにして超富裕層の社交の場となり、その上F1における最大かつ“最悪なコンディション”のレースコースになったかをご存じでしょうか。
モナコ在住のアレクサンドル・ノゲが、現在知られているグランプリへと進化する「モナコラリー」 を初めて開催したのは1911年のことでした。1920年代に入ると、息子のアントニー・ノゲがモナコ自動車クラブ(ACM) の会長に就任し、1928年にはACMがこのラリーを国を代表するレースにすることへの申請を行いました。しかし、このラリーはヨーロッパの他の国々に入る道路を使用していたため、モナコ公国内で完結していないと審査に通らないという理由で申請は却下されてしまいます。このためノゲ・ジュニアは、モンテカルロの曲がりくねった公道に限定したレースを提案し、ルイ2世とグランプリドライバーのルイ・シロンの支持を取り付け、「モナコ・サーキット」 と呼ばれる新しいコースの設計に着手します。
Monaco Grand Prix
唯一無二のレース
1955年以来、毎年例外なく開催されているモナコグランプリは、モンテカルロのきらびやかな街並みを舞台に繰り広げられます。タイトなカーブや高低差、さらにはトンネルなどを通過するため、平均よりも遅い速度での走行となり、衝突を避けるための高度な技術が要求され、時にはセーフティーカーの介入も必要となります。FIAが定めるF1レースの最短走行距離である305kmを満たさない唯一のグランプリであるにもかかわらず、F1の世界では他に類を見ない精確さ、スキル、スピードが試される過酷なレースとなっています。1929年以降、サーキットは何度か手が加えられていますが、基本的なレイアウトは変わっていません。 モナコGPは現在、インディアナポリス500、ル・マン24時間と並んで、「モータースポーツのトリプルクラウン」 と呼ばれる、世界で最も重要かつ権威ある三大レースの一つとして広く知られるようになっています。 リンクから、数々のドラマを生んできたモナコでのレースを紹介する過去の記事もお読み下さい。
スピードが遅い分、モナコGPは時間的に最も長いF1レースであり、雨天でコンディションが悪くなると、2時間の制限時間いっぱいまで走ることにもなります。狭い街路では追い越しはほぼ不可能なので、ここで勝利を得るには、慎重さを完全に忘れ去り、幸運に恵まれることを祈るしかありません。その上、78周のレース中には、5,000回近くものギアチェンジを行うため、ドライバーのミスが許される余地もありません。実際、モナコGPが難関揃いの悪名高きコースとなっていることは、「完走するマシンの数が最も少ない」というF1記録を持っていることからも伺えます。1966年と1996年は共に、最後まで走りきったマシンはわずか4台(1966年は16台、1996年は21台出走) でした。このサーキットで名声を得たドライバーの中に、アイルトン・セナがいます。彼のモナコでの戦績は他のどのドライバーをも上回り、10回の出場で6勝を挙げ、表彰台に上った回数は8回を数えます。2018年には、マックス・フェルスタッペンが、ミハエル・シューマッハのそれまでのラップレコードを僅差で上回り、驚異の1分14秒260を記録しています。
2016年5月26日に、モナコ、モンテカルロのモンテカルロ市街地コースで開催されたフォーミュラ1 モナコグランプリのプラクティスの様子。(写真:Vladimir Rys)
有名な顔ぶれ ― アイコンの誕生(と復活)
1969年、ホイヤーは、先鋭的なアイコンとなるグランプリにインスパイアされた「モナコ」 をこの世に送り出します。世界初の自動巻クロノグラフムーブメントを搭載した、大胆なスクエアケースは、それまでの時計業界では全く考えられなかったデザインでした。しかし、この世界で最も華やかなレースとタグ・ホイヤーとのつながりはそれだけではありませんでした。タグ・ホイヤーは、10年以上前から同レースの公式時計を務めているだけでなく、クラシックカーで競われるグランプリ・ドゥ・モナコ・ヒストリックの公式タイムキーパーでもあります。
1979年のモナコでのレースにて計時をするジャン・カンピチェ。
こうしたストーリーを今も語り継ぐのが、オリジナルデザインに最先端の解釈を加えた「タグ・ホイヤー モナコ チタン キャリバー11 スペシャルエディション」です。
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サンドブラスト加工を施したモダンなマット仕上げの超軽量グレード2 チタン製のモデルは、鮮やかなシルバーのダイヤル、エレガントなブラックのサブダイヤル、サーキットのスリルを彷彿とさせる明るいレッドのアクセントが目を引きます。
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レーシングカーのタイヤの溝をイメージしたスポーティなアンスラサイトのストラップと、アップデートされたキャリバー11自動巻クロノグラフ ムーブメントが、日々のラップタイムをしっかりと記録し、(もちろんカジノで過ごすひとときも) 優雅に演出します。
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