スポーツ 最後の一瞬まで: スポーツの歴史を変革させた5つの瞬間

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Hunt and Lauer at the 1975 Dutch Grand Prix. Photo by Anefo / Croes, R.C. / neg. stroken, 1945-1989, 2.24.01.05, item number 928-0060

スポーツにおいて、勝つか負けるかは、多くの場合、ほんのわずかなミリメートル単位のまたはほんの一瞬の違いです。これらの理由から、1916年にタグ・ホイヤーは100分の1秒単位で時間を正確に計測できるマイクログラフを発明しました。

これらの瞬間は、私たちをドキドキさせたり、飛び上がらせてくれたりします。彼はシュートを決めるでしょうか? 彼女はゴールラインに飛び込んでくるでしょうか? 彼女は決勝戦に我々を連れて行ってくれるでしょうか? ここでは、現代のスポーツの歴史を10年ごと5つに分けて、その最も素晴らしい瞬間をご紹介します。

1970年代: 栄光のラップ

1975年のオランダ グランプリでは暴風雨による遅れが生じ、それに苛立った参戦者たちは主催者に雨天用タイヤでレースを行うことを承諾させました。

このレースは、有名なニキ・ラウダとライバルのジェームス・ハントの語り継がれるエピソードの1つとなりました。勝ち目の薄い若きイギリス人ドライバーのハントはマクラーレンを運転していました。これはラウダのフェラーリにパワーではるかに劣るものでしたが、驚くべきことにラウダを60周で捕らえました。ラウダは何度か前に出ようとしましたし、実際にそうしたも同然でしたが、ハントは自分のコースを譲ることはありませんでした。

何もかもが一瞬の出来事で、TVのコメンテーターたちは大いに混乱しました。生放送で観客席から大きな歓声が上がった時、画面のキャプションは3周遅れていました。1.06秒のリードで、ハントが最初にゴールラインを越えたのでした。また、これは彼のF1グランプリ初優勝となりました。

The "Miracle on Ice" during the 1980 Winter Olympics. Photo by Henry Zbyszynski

1980年代: 氷の上の冷戦

1980年の冬季オリンピックでは、天候の異常が続き、暖かくなったと思ったら氷点下に戻るといったことが繰り返されました。2月22日、ニューヨーク州レークプラシッドの完売状態のスタジアムでは、男子ホッケー トーナメントの金メダル ラウンドが行われました。この試合では、ホストであるアメリカチームと前回の金メダリストであり、非常に人気のあるソビエト連邦チームが戦うことになりました。

最終ピリオドの終盤、試合は3対3の同点となっていました。ラスト20秒間には緊張感が漂っていました。スタジアムの誰もが立ち上がっていました。選手たちはお互いをチェックし、パックは氷上を横切って飛びました。試合終了が近づくと、観客たちは1秒1秒を声に出して数え始めました。そしその最後の瞬間に、アメリカチームがゴールを決め、この試合を制して金メダルを獲得しました。

スポーツコメンテーターのアル・マイケルズが、生放送で次のように言ったことは有名です:「試合の残り時間は5秒。奇跡を信じられるか? もちろん!」  このコメントは歴史に残るものとなり、この記憶に残るホッケーの最終試合は「氷上の奇跡」として知られるようになりました。

1980年代/1990年代: NBAの黄金時代

バスケットボールは80年代と90年代に真の黄金時代を迎えました。これは、マジック・ジョンソンとマイケル・ジョーダン2人のMJの絶頂期を意味します。これは、シカゴ・ブルズの、スペースジャムの、そしてアメリカ オリンピック「ドリームチーム」の時代でした。ここでは、マイケル・ジョーダンの時を止めるコートサイドの魔法があふれていました。

それは、シカゴ・ブルズ対クリーブランド・キャバリアーズで行われた1989年のNBAプレーオフ試合でのことです。第5ゲーム、1989年5月7日にオハイオ州のリッチフィールド・コロシアム(キャバリアーズ・ターフ) で開催されたイースタン・カンファレンス第1ラウンド シリーズの優勝決定戦。この5戦のうち3勝すれば勝ちのシリーズで、チームはそれぞれ2試合で引き分けになりました。残り3秒で、ジョーダンはパスを受け、シュートを放ちました。ブザーの音と共に彼は得点を上げました。ブルズはシリーズ優勝を飾り、ジョーダンのブザービーターは「ザ・ショット」として知られるようになりました。

そして時は流れて1998年。ジョーダンはこの時すでに真のバスケットボール レジェンドとなっていました。NBAファイナルの第6試合、ブルズ対ユタ・ジャズ戦。そして、ジョーダンのプロ選手としての最後の試合(となる予定だったが、最終的にはジョーダンは戻ってきた)。両チームは86点で同点の状態。残りは5.2秒、ジョーダンはシカゴ・ブルズが勝つためにジャンプシュートを決めました。優勝はシカゴ・ブルズ。また、この試合は全NBAゲームの中で最高の視聴率となりました。

マイケル・ジョーダン、シカゴ・ブルズの6度の優勝に貢献

2000年代: 勝利のドロップゴール

2003年のラグビー ワールドカップ ファイナルは、イングランド対オーストラリア戦となりました。11月のある雨が降る日、シドニーで開催されたこの試合には、8万人もの観客がテルストラ・スタジアムに集まりました。どちらも負けず劣らずの好勝負となりました。ピッチは綺麗に整えられていました。

セカンドハーフが終了し、スコアは14対14。試合は延長となりました。両チーム共にペナルティを獲得し、17対17で同点のままとなりました。(オーストラリアチームの) マット・ロジャースのキックの後、ボールは再びイングランド側に渡りました。

残り26秒になった時、ジョニー・ウィルキンソンは彼の前方にわずかなスペースがあることに気づき、ボールを手に取り、あまり得意ではない右足でキックしました。自問自答することなく、彼は非常に大切なドロップゴールを決めたのでした。コメンテーターは次のように言いました。「ジョニー・ウィルキンソンが再びイングランドのヒーローになりました! オーストラリアにはもう反撃の余地はありません! イングランドがワールドカップを制しました」まさに最後の2秒で、イングランドはラグビー ワールドカップを20対17で制しました。彼らは、この時初めて北半球チームとしてウェブ・エリス・カップを手にしましたが、それ以来まだ2度目の優勝は果たしていません。

イングランド ラグビー チームはロンドン中心部で優勝パレードを行い、ここトラファルガー広場にも姿を見せました。Photo by BombDog.

2010年代: 試合の勝敗を決するヘディング

ドイツで開催された2011年のFIFA女子ワールドカップは、史上6回目のFIFA女子ワールドカップ大会でした。準々決勝のノックアウト方式のトーナメントは、4グループの内の上位2チームが勝ち上がる方式でした。ブラジルは2011年7月10日に、ドレスデンのアリーナでアメリカと対戦しました。最終的に、アメリカ女子代表チームはPK戦で5対3で勝利しました。

しかしながら、この試合で最も緊張した瞬間は、セカンドハーフの試合終了の笛が鳴る数秒前でした。ロスタイム中はブラジルが2対1でリードしていました。USWNTのミーガン・ラピノーは、左ウィングからファー・ポストにクロスボールを上げました。チームメイトであるアビー・ワンバックがフリーになっていたのです。  滑らかで正確なボール扱いで、ワンバックは力強くヘディングし、見事なゴールを決めました。試合は2対2の同点となりました。ペナルティ ラウンドで勝利した後、USWNTは準決勝に進みました。

このような奇跡の瞬間は、時を超えて受け継がれて行きます。私たちは皆、8年後に何が起こったのか知っているからです: アメリカチームがワールドカップで優勝し、ラピノー選手がゴールデンブーツ賞を 受賞したのです。

ゲーム終了

スポーツの歴史は、無数の記憶に残る瞬間で成り立っています。最も記憶に残る瞬間は、そこだけが切り取られたかのように静止画像として記憶されています。それは、試合中でもそれ以外でも、事の成り行きを変えてしまうような決定的な瞬間でもあります。

タグ・ホイヤーでは、このような決定的な瞬間に時を止めることができるスポーツ選手を讃えています。タグ・ホイヤーの時計は、このような完璧な瞬間が持つ優雅さを讃え、インスピレーションを与えるために制作されています。